マウントバーノンを開拓し弟ジョージに大きな影響を与えた軍人
ローレンス・ワシントンは、初代大統領ジョージ・ワシントンの異母兄であり、彼の人生と思想に多大な影響を与えた軍人・政治家です。イギリス正規軍の将校としてジェンキンスの耳の戦争に従軍し、海軍提督エドワード・バーノンにちなんで自らの邸宅を「マウントバーノン」と名付けました。バージニア市民議会議員やオハイオ会社の設立メンバーも務め、若きジョージに軍人・紳士としての教養や野心を植え付けた後人としても知られます。
ローレンス・ワシントンは、初代大統領ジョージ・ワシントンの異母兄であり、彼の人生と思想に多大な影響を与えた軍人・政治家です。イギリス正規軍の将校としてジェンキンスの耳の戦争に従軍し、海軍提督エドワード・バーノンにちなんで自らの邸宅を「マウントバーノン」と名付けました。バージニア市民議会議員やオハイオ会社の設立メンバーも務め、若きジョージに軍人・紳士としての教養や野心を植え付けた後人としても知られます。
オーガスティン・ワシントン・シニアは、ジョージ・ワシントンの父親であり、18世紀前半のバージニアで多角的な事業を展開した裕福なプランター(大農園主)です。タバコ農園の拡大に加え、イギリス資本との提携による鉄鉱石の採掘・製鉄事業(プリンス・ウィリアム鉄工所)を成功させ、一族の財産を飛躍的に増やしました。また、後にマウントバーノンとなる土地を取得・整備し、息子たちが名門として台頭する経済的基盤を整えました。
オーガスティン・ワーナー・ジュニアは、17世紀後半のバージニア植民地で高い政治的地位を築いた大農園主・政治家です。イングランドで教育を受けた後、バージニア市民議会(House of Burgesses)の議長や評議会(Governor's Council)のメンバーを歴任し、植民地の政治指導者として活躍しました。また、彼はジョージ・ワシントンとロバート・E・リーの共通の先祖であり、現代の英王室チャールズ3世の血筋にも連なる名門の祖としても知られます。
ジョン・ワシントンは、1656年(または1657年)にイングランドからバージニアへと渡り、初代大統領ジョージ・ワシントンの曽祖父となった人物です。到着早々に船の難破に遭うも現地に留まり、裕福な娘との結婚を経てポトマック川沿いに広大な土地と奴隷を獲得。タバコ農園主(プランター)として成功を収めました。また民兵隊の中佐や民会議員を務め、先住民との交渉や衝突に関わるなど、名門ワシントン家の繁栄の礎を築きました。
17世紀半ばに移民したジョン・ワシントンから始まるバージニアの名門ワシントン家は、ポトマック川沿いに広大な土地を獲得し、タバコ農園主(プランター)として頭角を現しました。代々地元政治や軍職で影響力を築くなか、曾孫のジョージ・ワシントンはフレンチ・インディアン戦争で初陣を飾り、名声を確立。豊富な土地経営と軍事的経験は、後に大陸軍司令官および初代大統領としてアメリカ独立を導く強固な礎となりました。
ジョン・ジェンキンスは、17世紀後半のノースカロライナ(アルベマール地区)で代理知事や地方長官を務めた政治家です。本国の領主貴族や専制的な総督方針に対して植民地住民の権利を主張し、航海法への不満が高まる中で現地派のリーダーとして存在感を示しました。反対派から職務停止や拘留措置を受けるなど政治的混乱に巻き込まれましたが、住民からの強い支持を背景に復権し、初期カロライナの混乱期において重要な役割を果たしました。
トーマス・ケアリーは、18世紀初頭のノースカロライナ植民地で知事・副知事を務めた政治家です。イギリス国教会を優先し、クエーカー教徒らの公職追放を図る政策が激しい反発を呼びました。1711年、失職に反対したケアリーは武装した支持者を率いて独自の政府を樹立し、「ケアリーの反乱」を起こしました。武装船で現職知事を攻撃するなど激化しましたが、バージニアからの援軍により鎮圧され、イギリス本国へ送還されました。
ジョン・ローソンは、18世紀初頭のノースカロライナで活躍したイギリスの探検家・測量長官です。1700年から1,000マイルにおよぶ内陸部を探検し、広大な自然や先住民文化を詳細に記した著作『カロライナ新航海記』を刊行してヨーロッパに新大陸の魅力を伝えました。また、バースやニューバーンの町を創設するなど開発を精力的に推し進めましたが、入植拡大に伴う衝突のなか、1711年にタスカローラ族に捕らえられて命を落としました。
ジョン・カルペパーは、1677年にノースカロライナ(アルベマール地区)で起きた「カルペパーの反乱」を主導した人物です。イギリス本国が課した重い航海法とタバコ税に不満を募らせる入植者らを率い、知事代理を幽閉して独自の税関と政府を立ち上げました。彼は一時的に地域の全権を握り、北米植民地におけるイギリス王室や領主への初期の武力反抗を象徴する存在となり、後のアメリカ革命に繋がる抵抗運動の先駆けとなりました。
エドワード・ハイド(初代クラレンドン伯爵)は、ピューリタン革命の混乱期に清教徒と対立し、チャールズ2世の王政復古を力強く後押しした王党派の大物政治家です。その多大な功績により、1663年に国王から北米のカロライナ植民地を下賜された8人の領主(領主貴族)のひとりに名を連ねました。自らは直接北米へ渡らなかったものの、本国から植民地憲章の獲得と初期の経営指針確立を主導し、南部の発展に貢献しました。
ノースカロライナの歴史は、1580年代に謎の失踪を遂げた「ロアノーク島の消えた植民地」から始まりました。17世紀後半に入植が本格化すると、過酷な地理的孤立と政治的混乱が続き、1711年には過酷なタスカローラ戦争が勃発。その後、王室直轄植民地として安定すると、大藍や米の栽培で成長しました。1770年代には総督の腐敗に反発した民衆による「世直し運動(レギュレーター運動)」が起き、後の革命運動への導火線となりました。
トマス・ゲイツは、バージニア植民地の初代正式総督として初期の未曾有の危機を救った軍人・政治家です。1609年、補給船隊を率いて渡航中にハリケーンに遭いバミューダ島で難破するも、現地で舟を建造して翌年ジェームズタウンへ到達しました。「飢えの時代」により崩壊寸前だった入植地に着任すると、厳格な軍律「法規と徳政令」を制定して秩序を回復。植民地の維持と放棄回避に向け、指導力を如何なく発揮しました。
ジョージ・パーシーは、1607年のジェームズタウン創設期から現地に留まり、植民地総督を二度にわたり務めたノーサンバーランド伯爵家出身の貴族です。ジョン・スミスの負傷帰国後に指導者となったものの、1609年から1610年にかけての極限の飢餓「飢えの時代(Starving Time)」に直面しました。過酷な生存競争と先住民との対立を生き延びた彼は、初期植民地の凄惨な状況を率直な手記として書き残し、貴重な歴史記録として伝えています。
サミュエル・アーガルは、1610年代のバージニア植民地で目覚ましい功績を挙げたイギリスの航海者・知事代理です。大西洋の新航路を開拓して渡航時間を大幅に短縮したほか、1613年にはポウハタン族の娘ポカホンタスを捕虜とし、先住民との和平交渉の決定的な手札としました。また、北米東海岸のフランス入植地を攻略して英領の覇権を確立するなど、武力と機転で植民地の存続と拡大に大きく貢献しました。
ジョン・スミスは、1607年のジェームズタウン建設において強固な指導力を発揮した探検家・軍人です。「働かざる者食うべからず」の規律を定めて食糧難と病に苦しむ入植地を立て直し、先住民ポウハタン族との交易を行って初期の崩壊を防ぎました。ポウハタンの娘ポカホンタスとの救出逸話でも知られ、退任後もニューイングランド沿岸の地図を作成するなど、北米植民地化の基盤を築く上で極めて大きな役割を果たしました。