アジア近世帝国の流動と変容を解く重大事件

アジア近世帝国の流動と変容を解く重大事件

主な出来事

14世紀以降のアジアでは、明清の交代や文禄・慶長の役、オスマン帝国の版図拡大など政変や戦乱が相次ぎました。また、大航海時代に伴う銀の流入や大運河の改修は広域経済を活性化させ、大航海者・鄭和の南海遠征やネルチンスク条約締結などの外交的試みは国際関係を再編しました。これらの出来事は、火器の普及や宗教・思想の興隆と絡み合いながら、各帝国の統治体制を高度化させ、近代への足がかりを構築しました。

年表

要素
西暦 年齢
210年
巨大な魚を討伐するための再遠征 (時期: 紀元前210年頃)
徐福の第2回航海と帰還しなかった伝承(徐福, 時期: 紀元前210年頃)
219年
秦始皇帝による不老不死の薬の探索命令 (時期: 紀元前219年頃)
徐福の第1回航海(徐福, 時期: 紀元前219年頃)
1122年
宋軍への入隊(岳飛, 時期: 1122年)
1127年
靖康の変 (時期: 1127年)
1129年
長江流域の防衛戦 (時期: 1129~1130年頃)
1130年
岳家軍の形成と軍紀の確立 (時期: 1130年代)
1140年
岳飛への十二道金牌による召還 (時期: 1140年)
郾城の戦い (時期: 1140年)
潁昌の戦い (時期: 1140年)
朱仙鎮への進撃 (時期: 1140年)
1141年
岳飛の逮捕と処刑 (時期: 1141~1142年。処刑は1142年1月28日)
臨安での拘禁と最期 (時期: 1141~1142年)
1211年
岳飛の名誉回復と追贈 (時期: 1163年に名誉回復、1169年に武穆の諡号、1211年に鄂王の称号)
1330年
テマセクの中国人居住者に関する記録(汪大淵, 時期: 1330年ごろ)
第1回海外航海(汪大淵, 時期: 1330年~1334年ごろ)
1337年
第2回海外航海(汪大淵, 時期: 1337年~1339年ごろ)
1349年
『島夷誌略』の執筆 (時期: 1349年ごろ)
テマセクの記録 (時期: 1330年ごろの訪問、1349年ごろの著作への記載)
1352年
朱元璋の反乱軍参加 (時期: 1352年ごろ)
1356年
南京を拠点とした勢力拡大 (時期: 1356年)
1360年
大明律の整備 (時期: 1360年代~1397年)
1368年
軍事制度の再編と衛所制 (時期: 1368年以降)
明朝の首都としての南京の整備 (時期: 1368年~1398年)
明朝の建国と洪武帝の即位 (時期: 1368年1月23日)
元朝の首都・大都の攻略 (時期: 1368年9月)
1370年
燕王への封爵 (時期: 1370年)
明朝建国功臣の大規模粛清 (時期: 1370年代~1390年代)
戸籍・土地台帳の整備 (時期: 1370年代~1380年代)
1380年
胡惟庸の獄 (時期: 1380年以降)
宰相制度の廃止と皇帝権力の集中 (時期: 1380年)
燕王朱棣への仕官 (時期: 1380年代後半~1399年ごろ)
1381年
明軍による雲南征服と馬和の捕縛 (時期: 1381年~1382年ごろ)
1390年
李善長の処刑 (時期: 1390年)
1392年
朱標の死去と皇位継承者の変更 (時期: 1392年)
皇太孫・朱允炆の指名 (時期: 1392年)
鄭夢周の暗殺 (時期: 1392年)
朝鮮王朝の建国への貢献 (時期: 1392年)
1393年
藍玉の獄 (時期: 1393年)
1398年
咸興差使にまつわる逸話 (時期: 1398年以降、太祖の晩年までに伝承された逸話)
洪武帝の死去と皇位継承 (時期: 1398年6月24日~30日)
洪武帝の死去 (時期: 1398年6月24日)
1400年
私兵の廃止と中央集権化 (時期: 1400年代初頭)
明との外交関係の安定化 (時期: 1400年代初頭)
朝鮮王朝第3代国王への即位 (時期: 1400年12月)
1402年
靖難の変における建文帝の失踪 (時期: 1402年)
胡藍の獄後の政治的粛清と永楽帝による建文帝派の処罰 (時期: 1402年以降)
皇太子の継承をめぐる宮廷内の対立 (時期: 1402年~1404年)
鄭姓の授与 (時期: 1402年ごろ)
永楽帝の即位 (時期: 1402年7月)
1403年
永楽大典の編纂 (時期: 1403〜1408年)
1404年
皇太子への冊立 (時期: 1404年5月12日)
1405年
鄭和の大航海の開始 (時期: 1405年)
第1次下西洋 (時期: 1405年~1407年)
鄭和の第1回~第7回大航海への参加(王景弘, 時期: 1405~1433年)
1406年
北京の宮殿・紫禁城の建設 (時期: 1406〜1420年頃)
1407年
陳祖義の討伐 (時期: 1407年ごろ)
第2次・第3次下西洋 (時期: 1407年~1411年)
1410年
セイロン島での軍事衝突 (時期: 1410年~1411年ごろ)
1411年
皇太孫への冊立 (時期: 1411年)
1413年
第4次下西洋 (時期: 1413年~1415年)
1417年
第5次・第6次下西洋 (時期: 1417年~1422年)
1418年
譲寧大君の世子廃位と世宗の後継者選定 (時期: 1418年)
沈温事件 (時期: 1418年)
世宗の即位 (時期: 1418年)
世宗への譲位 (時期: 1418年9月)
1420年
東廠の設置 (時期: 1420年)
紙幣政策の失敗と通貨流通の変化 (時期: 1420年代後半~1430年代)
集賢殿を中心とした学術振興 (時期: 1420年以降)
1421年
明朝の北京遷都 (時期: 1421年)
1422年
太宗の死去と埋葬 (時期: 1422年6月8日)
1424年
鄭和の大航海事業の停止 (時期: 1424年~1425年)
財政・税制の見直しと民生政策 (時期: 1424年~1425年)
航海事業の一時停止(鄭和, 時期: 1424年~1430年ごろ)
永楽帝死去と皇位継承 (時期: 1424年8月~9月)
モンゴル遠征中の死去 (時期: 1424年8月12日)
洪熙帝の即位 (時期: 1424年9月7日)
1425年
南京への遷都計画 (時期: 1425年)
朱高煦の反乱 (時期: 1425年)
洪熙帝の急死と宣徳帝の即位 (時期: 1425年5月29日)
宣徳帝の即位 (時期: 1425年6月)
1426年
江南地方の減税と地方行政の改善 (時期: 1426年~1433年)
1427年
行政・軍制改革 (時期: 1427年~1429年ごろ)
1428年
胡皇后の廃位と孫氏の皇后冊立 (時期: 1428年)
1429年
農業技術書『農事直説』の編纂 (時期: 1429年)
1430年
北方の四郡・六鎮の整備 (時期: 15世紀前半、特に1430年代)
暦法・天文学・科学技術の発展 (時期: 1430年代~1440年代)
スマトラ島方面への第8回航海と遭難伝承(王景弘, 時期: 1430年代前半~1434年頃とされるが、詳細は不明)
1431年
鄭和の最後の大航海 (時期: 1431年~1433年)
第7次下西洋 (時期: 1431年~1433年)
1432年
日本との外交関係の進展 (時期: 1432年)
1434年
スマランへの埋葬 (時期: 1434年頃以降とされるが、正確な時期は不明)
1435年
鄭和の死去と航海事業の終焉(鄭和, 時期: 1433年、または1435年)
宣徳帝の死去と英宗の即位 (時期: 1435年1月31日)
正統帝としての即位 (時期: 1435年1月31日~2月7日)
1442年
宦官・王振の台頭 (時期: 1442年以降)
世宗の晩年と王世子への政務委任 (時期: 1439年以降、特に1442年~1450年)
1443年
対馬遠征後の朝鮮・対馬間の外交交渉 (時期: 1419年以降、特に1443年)
1444年
貢法による土地税制改革 (時期: 1420年代から1440年代、特に1444年)
メフメト2世の初めての即位 (時期: 1444年)
1445年
首陽大君への封号変更 (時期: 1445年)
1446年
訓民正音(ハングル)の創製 (時期: 1443年に創製、1446年に解説書とともに公布)
1449年
オイラト遠征と親征 (時期: 1449年7月~9月)
土木の変による英宗の捕虜化 (時期: 1449年9月1日)
景泰帝への皇位移行 (時期: 1449年9月22日)
1450年
英宗の帰国と軟禁 (時期: 1450年~1457年)
オイラトからの解放と帰国 (時期: 1450年)
1451年
ルメリ・ヒサルの建設 (時期: 1451年~1452年)
アナトリア半島の統合と領土拡大 (時期: 1451年~1481年)
学問・芸術の保護 (時期: 1451年~1481年)
法制度と中央集権体制の整備 (時期: 1451年~1481年)
1452年
景泰帝による皇太子の交代 (時期: 1452年)
1453年
癸酉靖難(きゆうせいなん, 時期: 1453年)
オスマン帝国によるコンスタンティノープルの首都化 (時期: 1453年以降)
コンスタンティノープル征服後の都市再建 (時期: 1453年以降)
ローマ皇帝の後継者としての称号の主張 (時期: 1453年以降)
コンスタンティノープルの陥落 (時期: 1453年5月29日)
1455年
端宗の退位と世祖の即位 (時期: 1455年)
朝鮮王朝第7代国王への即位 (時期: 1455年)
王室祭礼音楽の整備 (時期: 1455~1468年)
1456年
死六臣事件(端宗復位計画, 時期: 1456年)
1457年
端宗の流刑と死 (時期: 1457年)
奪門の変 (時期: 1457年2月11日)
天順帝としての復位 (時期: 1457年2月11日)
1460年
土地制度の改革 (時期: 1460年代)
『経国大典』の編纂推進 (時期: 1460年代(編纂事業は世祖の死後も継続))
1461年
曹欽の乱 (時期: 1461年8月)
1464年
殉葬制度の廃止 (時期: 1464年、英宗晩年の命令)
英宗の死去と成化帝の即位 (時期: 1464年2月23日)
1467年
李施愛の乱の鎮圧 (時期: 1467年)
1468年
世祖の死去と睿宗への王位継承(世祖, 時期: 1468年10月2日)
1469年
成宗の即位 (時期: 1469年)
仏教政策の抑制 (時期: 成宗の治世(1469年~1494年))
1470年
万貴妃の勢力をめぐる皇位継承問題 (時期: 1470年~1475年)
弘文館の整備と儒学者の登用 (時期: 1470年代~1490年代)
学術・出版事業の振興 (時期: 1470年代~1490年代)
1474年
経国大典の完成・施行 (時期: 1474年)
1475年
紀氏の死 (時期: 1475年)
1477年
寡婦の再婚制限の強化 (時期: 1477年)
1479年
廃妃尹氏の廃位 (時期: 1479年)
1480年
地中海での海軍力強化 (時期: 1480年代~1503年)
叔父ケマル・レイスのもとでの航海活動(ピリー・レイス, 時期: 1480年代後半~1511年頃)
1481年
オスマン帝国の継承と王位をめぐる争い(メフメト2世, 時期: 1481年)
ジェム・スルタンの王位継承争い(バヤズィト2世, 時期: 1481~1495年)
帝国の統治と行政の安定化 (時期: 1481~1512年)
オスマン帝国第8代スルタンへの即位 (時期: 1481年5月)
メフメト2世の死去 (時期: 1481年5月3日)
1482年
廃妃尹氏の賜死 (時期: 1482年)
1487年
弘治中興と官僚政治の改善 (時期: 1487年~1505年)
トレビゾンド総督への任命 (時期: 1487年)
弘治帝の即位 (時期: 1487年9月)
1489年
李仇之(イ・グジ)事件 (時期: 1489年)
1490年
大明律の改訂・法令集の編纂 (時期: 弘治年間、特に1490年代~1500年)
茶馬交易の再調整 (時期: 1490年代~1502年)
地中海での船乗り・私掠船活動 (時期: 1490年代ごろ~1510年代初頭)
1491年
女真勢力への北方遠征 (時期: 1491年)
1492年
黄河の大洪水と治水事業 (時期: 1492年~1495年ごろ)
スペインからのセファルディ系ユダヤ人の受け入れ (時期: 1492年以降)
スペインからのユダヤ人移住者の保護(バヤズィト2世, 時期: 1492年以降)
1494年
成宗の死去と燕山君の即位 (時期: 1494年末~1495年1月)
サファヴィー教団の指導者継承(イスマーイール1世, 時期: 1494年)
1498年
戊午士禍 (時期: 1498年)
金宏弼への師事と儒学の研鑽 (時期: 1498年以降)
1500年
サファヴィー朝との軍事的対立の激化 (時期: 1500年代初頭~1514年)
1501年
タブリーズ攻略とシャーへの即位 (時期: 1501年)
十二イマーム派シーア派の国教化 (時期: 1501年以降)
イラン各地の征服と統合 (時期: 1501~1510年代初頭)
1503年
銅銭の鋳造再開と貨幣政策 (時期: 1503年)
1504年
甲子士禍 (時期: 1504年)
1505年
弘治帝の死去と正徳帝の即位 (時期: 1505年6月8日)
1506年
燕山君時代の政治の立て直し (時期: 1506年以降)
中宗反正 (時期: 1506年9月)
中宗の即位 (時期: 1506年9月18日)
1508年
アッバース朝カリフやスンナ派聖者の廟の破壊 (時期: 1508年頃)
バグダードの征服 (時期: 1508年)
1510年
地方自治制度・郷約の普及 (時期: 1510年代)
科挙合格と官界への進出 (時期: 1510年~1515年)
郷約の普及と地方社会改革 (時期: 1510年代後半)
マルヴの戦いでウズベク軍に勝利 (時期: 1510年)
1511年
息子セリムとの王位継承争い(バヤズィト2世, 時期: 1511~1512年)
『キターブ・バフリエ』初版の完成 (時期: 1511年~1521年頃)
シャー・クルの反乱 (時期: 1511年)
1512年
バヤズィト2世の退位 (時期: 1512年)
オスマン帝国の領土拡大と政治的重心の変化 (時期: 1512年~1520年)
セリム1世の即位 (時期: 1512年4月24日)
死去と埋葬 (時期: 1512年5月26日)
1513年
1513年の世界地図の作成 (時期: 1513年)
1514年
チャルディラーンの敗北後の政治的変化 (時期: 1514年以降)
晩年の政治的後退と死去 (時期: 1514~1524年、死去は1524年5月23日)
チャルディラーンの戦い (時期: 1514年8月23日)
チャルディラーンの戦いと軍事的影響 (時期: 1514年8月23日)
1515年
王妃・外戚勢力をめぐる宮廷内の権力闘争 (時期: 1515~1544年)
趙光祖による儒教改革 (時期: 1515~1519年)
1516年
シリアとエジプトの征服 (時期: 1516年~1517年)
エジプト征服への参加と世界地図の献上 (時期: 1516年~1517年)
アルジェの攻略 (時期: 1516年)
アルジェのスルタンへの就任(オルチ・レイス, 時期: 1516年以降)
アルジェを拠点とした勢力拡大 (時期: 1516年~1517年)
マルジュ・ダービクの戦い (時期: 1516年8月24日)
1517年
カイロの攻略 (時期: 1517年1月下旬)
イスラム聖地への支配権の拡大 (時期: 1517年以降)
オスマン帝国との連携 (時期: 1517年ごろ)
トレムセン遠征と最期 (時期: 1517年~1518年5月)
リダニヤの戦い (時期: 1517年1月22日)
1518年
賢良科の導入 (時期: 1518年~1519年)
昭格署の廃止 (時期: 1518年)
兄オルチ・レイスの死去と勢力の継承(ハイレッディン・パシャ, 時期: 1518年)
ハイレッディンの称号を得る (時期: 1518年以降)
トレムセンの陥落とオルチ・レイスの戦死 (時期: 1518年1月~5月ごろ)
1519年
第三次士禍(己卯士禍, 時期: 1519年)
己卯士禍 (時期: 1519年)
偽勲削除の主張 (時期: 1519年)
賜死と後世の名誉回復 (時期: 1519年末~16世紀以降)
1520年
法制度の整備と「立法帝」の評価 (時期: 1520~1566年)
ジェルバ島を拠点とした海上活動 (時期: 1520年代~1540年頃)
オスマン帝国第10代スルタンへの即位 (時期: 1520年9月)
セリム1世の死去 (時期: 1520年9月22日)
1521年
ベオグラードの征服 (時期: 1521年)
1522年
ロードス島の征服 (時期: 1522年)
ロードス包囲戦への参加 (時期: 1522年)
1524年
『キターブ・バフリエ』改訂版の完成 (時期: 1524年~1526年頃)
タフマースブの即位と宮廷内の権力闘争 (時期: 1524年以降)
サファヴィー朝第2代君主への即位 (時期: 1524年)
1526年
ハンガリーの大部分の支配 (時期: 1526~1541年)
モハーチの戦いによるハンガリー王国の危機 (時期: 1526年8月29日)
1528年
1528年の世界地図の作成 (時期: 1528年)
ジャームの戦いでの勝利 (時期: 1528年)
1529年
ウィーン包囲 (時期: 1529年9~10月)
アルジェ沖のスペイン拠点ペニョンの攻略 (時期: 1529年)
1533年
オスマン海軍提督への任命 (時期: 1533年)
宗教政策の転換と信仰生活の厳格化 (時期: 1533年~1534年頃)
1534年
バグダードの占領 (時期: 1534年)
チュニスの占領 (時期: 1534年)
1536年
カスピ海沿岸地方の支配強化 (時期: 1536年~1537年頃)
1537年
コルフ島遠征への同行 (時期: 1537年)
サファヴィー王子としての誕生 (時期: 1537年5月31日)
1538年
プレヴェザの海戦 (時期: 1538年9月28日)
1540年
ジェノヴァ艦隊による捕虜化 (時期: 1540年)
バルバロス・ハイレッディンによる解放 (時期: 1540年代前半)
アルジェやジェルバ島の統治への関与 (時期: 1540年代~1550年代)
カフカスからの住民移送と王直属軍の形成 (時期: 1540年~1553年頃)
軍事指揮官としての活動(イスマーイール2世, 時期: 1540年代~1550年代)
1542年
地方総督としての統治経験 (時期: 1542年~1566年)
1543年
フランスとの外交・軍事協力 (時期: 1533年以降、特に1543年~1544年)
ニース攻撃とフランスとの共同作戦 (時期: 1543年)
1544年
軍人としての家督継承(戚継光, 時期: 1544年~1545年頃)
中宗の死去と仁宗への王位継承(中宗, 時期: 1544年12月9日)
1545年
引退と回想録の口述(ハイレッディン・パシャ, 時期: 1545年)
1546年
弟アルカース・ミールザーの反乱 (時期: 1546年~1547年)
バルバロッサ・ハイレッディン・パシャの死去 (時期: 1546年7月4日)
1547年
インド洋艦隊の提督への任命 (時期: 1547年頃)
アデンの奪回 (時期: 1547年10月~1548年2月26日)
1550年
武科挙の受験と北京防衛への参加 (時期: 1550年頃)
戚家軍の整備 (時期: 1550年代後半~1560年代)
1551年
トリポリの統治者への就任(トゥルグート・レイス, 時期: 1551年~1552年)
トリポリの整備と都市発展 (時期: 1551年~1565年)
1552年
ホルムズ遠征と包囲の失敗 (時期: 1552年4月~10月)
1553年
ピリー・レイスの処刑 (時期: 1553年)
シェフザーデ・ムスタファの処刑 (時期: 1553年10月6日)
1555年
アマスィヤ条約の締結 (時期: 1555年5月29日)
1556年
カフカハ城への幽閉 (時期: 1556~1576年)
1557年
王直の捕縛と処刑 (時期: 1557年)
首都のタブリーズからガズヴィーンへの移転 (時期: 1540年代に準備、1557年頃に移転)
1559年
シェフザーデ・バヤズィトの反乱と処刑 (時期: 1559~1561年)
オスマン皇子バヤズィトの亡命受け入れ(タフマースブ1世, 時期: 1559年~1562年頃)
1560年
『紀效新書』の編纂 (時期: 1560年頃に初版が成立)
1564年
科挙合格と官僚としての出発 (時期: 1564年~)
1565年
トゥルグート・レイスの埋葬と後世の評価 (時期: 1565年以降)
マルタ包囲戦への参戦 (時期: 1565年5月~6月)
マルタ包囲戦での負傷と死去 (時期: 1565年6月18日~6月23日)
1566年
シゲトヴァール包囲戦と死去 (時期: 1566年8~9月)
マニサでの皇子時代 (時期: 1566年~1595年)
スレイマン1世の死の秘匿 (時期: 1566年9月)
セリム2世の即位 (時期: 1566年9月)
オスマン帝国のスルタンへの即位 (時期: 1566年9月7日)
1567年
戚継光の北方への転任 (時期: 1567年以降)
万里の長城の修築・防衛体制の強化 (時期: 1567年以降~1580年代初頭)
宣祖の即位 (時期: 1567年)
儒教政治と学問の振興 (時期: 1567年~1592年)
1570年
内医院での医師としての活動 (時期: 1570年代以降)
キプロス征服 (時期: 1570年~1571年)
キプロス島の征服と統治の開始 (時期: 1570年~1571年)
1571年
イエズス会への入会 (時期: 1571年)
レパント海戦後のオスマン艦隊再建 (時期: 1571年~1572年)
レパントの海戦での敗北 (時期: 1571年10月7日)
1572年
張居正の改革と死後の失脚 (時期: 1572年~1584年)
張居正による行政・財政改革 (時期: 1572年~1582年)
万暦帝の即位 (時期: 1572年7月)
1573年
オスマン・ヴェネツィア講和 (時期: 1573年)
1574年
チュニスの再征服 (時期: 1574年)
チュニスの奪回 (時期: 1574年)
弟たちの処刑による王位継承の安定化(ムラト3世, 時期: 1574年)
宮廷芸術と細密画の保護 (時期: 1574~1595年)
オスマン帝国第12代スルタンへの即位 (時期: 1574年12月)
セリム2世の死去 (時期: 1574年12月15日)
1575年
東人・西人の党争の激化 (時期: 1575年以降)
1576年
航海術の習得とイングランド海軍での活動(ウィリアム・アダムス, 時期: 1576年頃~1590年代)
王位継承をめぐる宮廷内の混乱(タフマースブ1世, 時期: 1576年)
サファヴィー王族の大規模粛清 (時期: 1576年~1577年)
キズルバシュ有力者の粛清 (時期: 1576~1577年)
姉パリー・ハーン・ハーヌムとの対立 (時期: 1576~1577年)
タフマースブ1世の死と王位継承争い(イスマーイール2世, 時期: 1576年5~8月)
スンナ派に融和的な宗教政策 (時期: 1576~1577年)
宗教行政と司法制度の再編 (時期: 1576年)
タフマースブの死去と長期政権の終焉 (時期: 1576年5月14日)
イスマーイール2世の即位 (時期: 1576年9月1日)
1577年
アジア宣教への出発 (時期: 1577年~1578年)
ムハンマド・ホダーバンデへの王位継承(イスマーイール2世, 時期: 1577年11月)
イスマーイール2世の急死 (時期: 1577年11月24日)
1578年
オスマン・サファヴィー戦争の開始 (時期: 1578年)
1579年
大宰相ソコルル・メフメト・パシャの暗殺 (時期: 1579年10月11日)
1580年
皇太子選定をめぐる争い(国本之争, 時期: 1580年代~1601年)
マテオ・リッチの中国での布教活動 (時期: 1580年代~1610年)
女真諸部族の統合開始 (時期: 1580年代以降)
司祭叙階と中国語学習への準備 (時期: 1580年~1582年)
天文台の閉鎖 (時期: 1580年)
イギリスとの外交・通商関係の強化 (時期: 1580年代)
1581年
オックスフォード大学での学業 (時期: 1581年ごろまで)
1582年
張居正の死後の失脚 (時期: 1582年~1583年)
マカオ到着と中国入境の準備 (時期: 1582年)
割礼式の挙行 (時期: 1582年5月29日)
1583年
晩年と死去 (時期: 1583年~1588年)
中国本土での宣教拠点の設立 (時期: 1583年)
中国本土への進出と肇慶での活動 (時期: 1583年~1589年)
1587年
アッバース1世の即位 (時期: 1587年~1588年)
1589年
イェニチェリの反乱と通貨価値の混乱 (時期: 1589年)
1590年
右議政・左議政への就任(柳成龍, 時期: 1590年~1592年)
王世子の天然痘治療 (時期: 1590年)
アナトリアにおけるジェラリー反乱への対応 (時期: 1590年代~1603年)
軍制改革と中央集権化 (時期: 1590年代~17世紀初頭)
コンスタンティノープル条約の締結 (時期: 1590年3月21日)
1591年
ナバラ王アンリによる騎士叙任と帰国後の拘束(アンソニー・シャーリー, 時期: 1591年ごろ)
エセックス伯の遠征への参加 (時期: 1591年)
1592年
万暦三大征 (時期: 1592年~1600年)
壬辰倭乱中の明軍介入と和平交渉 (時期: 1592年~1596年)
李舜臣の海戦と義兵の抗戦 (時期: 1592年~1598年)
世子・光海君への政務委任 (時期: 1592年以降)
光海君の王世子冊立 (時期: 1592年)
王世子としての戦時統治 (時期: 1592~1598年)
日本軍の朝鮮侵攻と宣祖の避難 (時期: 1592年)
領議政への就任と戦争指揮(柳成龍, 時期: 1592年~1598年)
宣祖の避難への随行 (時期: 1592年~1593年ごろ)
日本軍侵攻による漢城陥落と王の避難 (時期: 1592年4月~6月)
壬辰倭乱の勃発 (時期: 1592年4月)
1593年
ハングルによる王命文書の発出 (時期: 1593年)
訓練都監の設置への関与 (時期: 1593年)
1595年
メフメト3世の即位と弟たちの処刑 (時期: 1595年1月)
宮廷における母サフィエ・スルタンの影響力 (時期: 1595年~1603年)
スルタンへの即位 (時期: 1595年1月16日)
1596年
宦官による鉱税・商税の徴収と反発 (時期: 1596年ごろ~万暦帝晩年)
『東医宝鑑』の編纂開始 (時期: 1596年)
エゲル攻略とハンガリー遠征 (時期: 1596年)
1596年の私掠遠征の失敗 (時期: 1596年~1597年)
エゲルの攻略 (時期: 1596年10月)
ケレストゥシュの戦いでの勝利 (時期: 1596年10月24日~26日)
1597年
丁酉再乱と日本軍の撤退 (時期: 1597年~1598年)
1598年
戦争後の復旧と宮廷再建 (時期: 1598年以降)
戦後復興と王朝統治の再建 (時期: 1598年~1608年)
柳成龍の罷免 (時期: 1598年)
『懲毖録』の執筆 (時期: 1598年以降、晩年まで)
オランダ商人の艦隊による東方航海(ウィリアム・アダムス, 時期: 1598~1600年)
リーフデ号による東インド方面への航海(ヤン・ヨーステン, 時期: 1598年~1600年)
イスファハーンへの首都移転 (時期: 1598年)
ヘラートとマシュハドの奪回 (時期: 1598年)
イスファハーンの都市整備 (時期: 1598年~1620年代)
サファヴィー朝ペルシアへの渡航 (時期: 1598年~1599年)
兄アンソニー・シャーリーとペルシアへ渡航 (時期: 1598年以降)
1599年
イングランドとの外交・通商交渉 (時期: 1599年)
ペルシア使節団のヨーロッパ派遣 (時期: 1599年~1602年)
ペルシア軍の訓練と砲兵改革への協力 (時期: 1599年以降、17世紀初頭)
1600年
東林党と宮廷官僚の対立 (時期: 1600年代初頭~万暦帝晩年)
万暦帝の長期政務不参加 (時期: 1600年前後~1620年)
官職からの引退と晩年の著述(柳成龍, 時期: 1600年~1607年)
徐光啓との協力と『幾何原本』の翻訳 (時期: 1600年代初頭~1607年)
徳川家康との謁見と取り調べ (時期: 1600年)
徳川家康の外交顧問への就任(ウィリアム・アダムス, 時期: 1600年代初頭)
徳川家康によるリーフデ号乗組員の取り調べと保護 (時期: 1600年)
徳川家康の外交顧問となる (時期: 1600年以降)
アナトリア反乱の鎮圧 (時期: 1600年代初頭~1609年ごろ)
リーフデ号の日本漂着 (時期: 1600年4月)
1601年
朱常洛の皇太子冊立 (時期: 1601年)
万暦帝の宮廷への接近 (時期: 1601年)
北京での宣教活動と晩年 (時期: 1601年~1610年)
1602年
『坤輿万国全図』の刊行 (時期: 1602年)
1603年
シェフザーデ・マフムトの処刑 (時期: 1603年)
弟ムスタファの処刑を見送る (時期: 1603年以降)
ヴェネツィアでの逮捕 (時期: 1603年)
兄シェフザーデ・マフムトの処刑 (時期: 1603年6月7日)
アフメト1世への王位継承(メフメト3世, 時期: 1603年12月)
メフメト3世の死去 (時期: 1603年12月22日)
アフメト1世の即位 (時期: 1603年12月22日)
1604年
西洋式帆船の建造 (時期: 1604~1610年頃)
ヴェネツィアからの追放(アンソニー・シャーリー, 時期: 1604年12月)
1605年
モロッコへの外交使節 (時期: 1605年~1606年)
1606年
ジトヴァトロク条約の締結 (時期: 1606年11月11日)
1607年
テレジア・サンプソニアとの結婚 (時期: 1607~1608年頃)
1608年
臨海君の排除 (時期: 1608~1609年ごろ)
大同法の実施 (時期: 1608年以降)
戦後復興と宮殿の再建 (時期: 1608~1623年)
宣祖の死去と許浚の流刑 (時期: 1608年)
サファヴィー朝のヨーロッパ外交使節派遣 (時期: 1608~1611年頃)
ヨーロッパ各地での外交活動 (時期: 1608~1611年頃)
第15代国王への即位 (時期: 1608年2月)
1609年
日本との外交・貿易関係の再開 (時期: 1609年以降)
日本とオランダの通商関係の発展に協力 (時期: 1609年以降)
スルタンアフメト・モスクの建設開始 (時期: 1609年)
1610年
明と後金の間での均衡外交 (時期: 1610年代~1623年)
『東医宝鑑』の完成 (時期: 1610年)
イングランドとの通商関係の促進 (時期: 1610年代~1620年代)
1612年
ジェームズ・ホール探検隊のグリーンランド遠征とホールの死 (時期: 1612年)
北西航路探索への参加 (時期: 1612年)
1613年
癸丑獄事 (時期: 1613年)
『東医宝鑑』の刊行 (時期: 1613年)
イギリス商館の設立 (時期: 1613年)
ペルシアへの帰還と再度のヨーロッパ渡航 (時期: 1613~1615年頃)
グリーンランドおよび北極海での航海(ウィリアム・バフィン, 時期: 1613年頃)
1614年
旅行記『東方旅行記』の執筆と刊行(ピエトロ・デッラ・ヴァッレ, 時期: 1614~1650年代)
東方への巡礼旅行の開始(ピエトロ・デッラ・ヴァッレ, 時期: 1614年6月)
1615年
八旗制度の整備 (時期: 17世紀初頭から1615年頃にかけて整備)
長男ムハンマド・バーキル・ミールザーの処刑 (時期: 1615年)
晩年の王位継承問題(アッバース1世, 時期: 1615年~1629年)
エジプトと聖地エルサレムの訪問 (時期: 1615~1616年)
バフィン湾およびハドソン海峡の調査 (時期: 1615年)
1616年
白蓮教徒などによる反乱 (時期: 1587年、1616年など)
バグダードでのマアーニーとの出会いと結婚 (時期: 1616年)
古代バビロン遺跡の記録 (時期: 1616年頃)
バフィン湾の詳細な探検 (時期: 1616年)
後金の建国 (時期: 1616年2月17日)
1617年
スルタンアフメト・モスクの完成 (時期: 1616年ごろ(アフメト1世の死去した1617年までに完成))
アッバース1世との交流 (時期: 1617~1618年頃)
東インド会社への参加と紅海・ペルシア湾の測量 (時期: 1617年~1619年)
アフメト1世の死去 (時期: 1617年11月22日)
1618年
仁穆王后の幽閉 (時期: 1618年)
中国への渡航と宣教活動の開始 (時期: 1618~1622年)
イスファハーンでの滞在とキリスト教徒共同体の構想 (時期: 1618~1621年)
1619年
サルフの戦いと遼東情勢の悪化 (時期: 1619年)
科挙に合格し官僚となる (時期: 1619年)
1620年
内モンゴル諸部族の統合 (時期: 1620年代~1630年代)
遼東防衛の強化 (時期: 1620年代前半~1626年以降)
大同法の拡大と財政改革 (時期: 1620年代~1640年代)
崇禎暦書の編纂と暦法改訂 (時期: 1620年代~1644年)
船「ロンドン」での東方航海(ウィリアム・バフィン, 時期: 1620年~1622年)
平戸での晩年と死去 (時期: 1620年5月16日)
万暦帝の死去と泰昌帝の即位 (時期: 1620年8月18日)
1621年
満洲文字の創製 (時期: 1621年)
マアーニーの死去と遺体の保存 (時期: 1621年末~1622年頃)
1622年
信王への封爵 (時期: 1622年)
カンダハールの攻略 (時期: 1622年)
ホルムズ島の攻略とバンダル・アッバースの発展 (時期: 1622年以降)
バフィンの未亡人による東インド会社への請求 (時期: 1622年以降、数年にわたる)
ケシュム島要塞攻撃におけるバフィンの戦死 (時期: 1622年1月23日)
1623年
光海君の廃位と済州島への流刑 (時期: 1623~1641年)
仁祖の即位 (時期: 1623年)
軍制の再編と国防強化 (時期: 1623年~1649年)
帰国を目指す航海と遭難(ヤン・ヨーステン, 時期: 1623年)
インドへの旅行と現地社会の記録(ピエトロ・デッラ・ヴァッレ, 時期: 1623~1624年)
仁祖反正 (時期: 1623年3月)
ムラト4世の即位 (時期: 1623年9月10日)
1624年
平戸での誕生と幼少期 (時期: 1624~1631年)
李适の乱 (時期: 1624年)
イングランド宮廷での外交活動 (時期: 1624年頃)
1625年
盛京を拠点とした国家建設 (時期: 1625年~1643年)
瀋陽への遷都 (時期: 1625年)
グルジア・カルトリ地方の反乱と弾圧 (時期: 1625年)
ローマへの帰還 (時期: 1625~1626年)
バフィンの航海記録の刊行(ウィリアム・バフィン, 時期: 1625年)
1626年
ヌルハチ死去後の後金の継承 (時期: 1626年)
八旗制度と行政機構の整備 (時期: 1626年~1630年代)
福陵への埋葬 (時期: 1626年以降)
遼東巡撫への昇進(袁崇煥, 時期: 1626年)
後金の第2代ハンへの即位 (時期: 1626年9月)
ヌルハチの死去と後継者の継承 (時期: 1626年9月30日)
1627年
魏忠賢と客氏の失脚 (時期: 1627年~1628年)
官僚機構の改革と党派対立 (時期: 1627年~1644年)
軍人としての登用と昇進(呉三桂, 時期: 1627~1639年)
最後のペルシア帰国とガズヴィーンでの死去(ロバート・シャーリー, 時期: 1627~1628年)
崇禎帝の即位 (時期: 1627年10月2日)
1628年
五年で遼東を回復する構想 (時期: 1628年)
ペルシア宮廷での失脚と死 (時期: 1628年)
1629年
毛文龍の処刑と軍事指揮をめぐる対立(袁崇煥, 時期: 1629年)
北京防衛への出動 (時期: 1629年)
王族と有力者への粛清の強化 (時期: 1629年~1632年頃)
サファヴィー朝第6代君主への即位 (時期: 1629年1月)
アッバース1世の死去 (時期: 1629年1月19日)
1630年
財政危機と軍事給与の遅配 (時期: 1630年代~1644年)
明軍からの離脱と反乱軍への参加 (時期: 1630年頃)
李自成の反乱参加と蜂起 (時期: 1630年前後)
明朝の駅伝制度での勤務 (時期: 青年期、1630年以前)
土地の平等分配を掲げた勢力拡大 (時期: 1630年代後半~1640年代初頭)
酒・タバコ・コーヒーなどの禁止政策 (時期: 1630年代、特に親政期)
袁崇煥の逮捕 (時期: 1630年1月)
袁崇煥の処刑 (時期: 1630年9月22日)
1631年
反乱軍の独自編成 (時期: 1631年頃)
イェニチェリによる宮廷への圧力と反乱 (時期: 1631年)
1632年
王族・宮廷有力者の大規模粛清 (時期: 1629年以降、特に1632年頃)
親政の開始と中央権力の強化 (時期: 1632年5月18日ごろ)
1633年
京師大疫 (時期: 1633年~1644年)
チバリ大火 (時期: 1633年9月2日)
1634年
大宰相サルー・タキーの台頭 (時期: 1634年以降)
サルー・タキーを中心とする行政運営 (時期: 1634年~1642年)
オスマン軍によるエレバンとタブリーズへの進攻 (時期: 1634年)
1635年
女真から満洲への民族名称の変更 (時期: 1635年)
チャハル・モンゴルとの戦いで軍功を挙げる (時期: 1628年、1635年)
鳳陽の明朝祖陵・祖廟への反乱軍による攻撃 (時期: 1635年頃)
エレヴァン遠征とレヴァン・キオスクの建設 (時期: 1635年)
1636年
清の成立 (時期: 1636年)
崇徳元号の採用と清朝の制度整備 (時期: 1636年~1643年)
高迎祥の処刑と李自成の台頭 (時期: 1636年頃)
ローマ教皇庁関係者との争いと一時追放(ピエトロ・デッラ・ヴァッレ, 時期: 1636年頃)
ホルシュタイン=ゴットルプ公国の使節団来訪 (時期: 1636年)
ホルシュタイン=ゴットルプ使節団との外交交流 (時期: 1636年~1639年)
国号を大清へ変更し皇帝を称する (時期: 1636年5月)
1637年
三田渡での降伏 (時期: 1637年1月(旧暦))
昭顕世子と鳳林大君の清滞在 (時期: 1637年~1645年)
1638年
明軍への一時帰順と反乱の再開 (時期: 1638~1639年頃)
科挙受験と学問の修養 (時期: 1638~1644年)
バグダード奪回 (時期: 1638年)
カンダハールのムガル帝国への移譲 (時期: 1638年)
カンダハールの喪失 (時期: 1638年)
1639年
ズハーブ条約の締結 (時期: 1639年)
ズハーブ条約によるオスマン帝国との講和 (時期: 1639年)
1640年
ムラト4世の死去とイブラヒムの即位 (時期: 1640年2月8日)
杏山の戦い (時期: 1640年5月18日)
1641年
襄陽攻略と襄王の殺害 (時期: 1641年)
松錦の戦いでの敗北 (時期: 1641~1642年)
1642年
明の将軍・洪承畴の清への投降 (時期: 1642年)
比較的安定した対オスマン外交 (時期: 1642~1666年)
サフィー1世の死去と王位継承(サフィー1世, 時期: 1642年5月12日)
サフィー1世の死去とアッバース2世の即位 (時期: 1642年5月12日)
シャーへの即位 (時期: 1642年5月15日)
1643年
李自成による西安占領と順朝の樹立 (時期: 1643年末~1644年1月)
ドルゴンによる摂政政治 (時期: 1643年~1650年)
ホンタイジ死後の皇位継承問題(ドルゴン, 時期: 1643年)
順治帝の摂政に就任(ドルゴン, 時期: 1643年~1650年)
武昌攻略と楚王の殺害 (時期: 1643年)
西王の称号を宣言 (時期: 1643年)
西安を拠点とする政権運営 (時期: 1643年~1644年)
ホンタイジの死去と順治帝の即位 (時期: 1643年9月21日以降)
順治帝の即位 (時期: 1643年10月8日)
1644年
清朝への降伏をめぐる明朝旧臣の選択 (時期: 1644年~1650年代)
漢人官僚の登用と統治制度の整備 (時期: 1644年~1661年)
北京入城と清朝による首都支配の開始 (時期: 1644年)
北京を拠点とした清朝の支配拡大 (時期: 1644年以降)
四川における大量殺害と人口減少をめぐる問題 (時期: 1644~1647年頃)
大西政権の樹立と皇帝即位 (時期: 1644年)
永昌の年号の使用 (時期: 1644年~1645年)
清朝成立への転換点 (時期: 1644年~1645年)
山海関での清軍への協力 (時期: 1644年4~5月)
父・呉襄の処刑 (時期: 1644年以降)
北京陥落と南明への忠誠表明 (時期: 1644年)
清朝宮廷での天文行政の責任者就任(ヨハン・アダム・シャール・フォン・ベル, 時期: 1644~1645年頃)
順治帝との交流と宣教活動の拡大 (時期: 1644~1661年)
大順の建国 (時期: 1644年2月8日)
北京の陥落と明王朝の滅亡 (時期: 1644年4月)
甲申の変(北京陥落と明朝の滅亡, 時期: 1644年4月)
北京陥落と崇禎帝の自害 (時期: 1644年4月24日~25日)
南明政権の成立 (時期: 1644年5月以降)
清軍の北京入城 (時期: 1644年5月~11月)
北京からの撤退 (時期: 1644年5月末~6月初め)
1645年
辮髪令の発布と各地の反発 (時期: 1645年)
南京の占領と南明政権の崩壊 (時期: 1645年)
辮髪令の実施 (時期: 1645年以降)
李自成の最期をめぐる伝承 (時期: 1645年頃)
隆武帝からの朱姓下賜 (時期: 1645年)
親政の開始 (時期: 1645年)
昭顕世子の帰国と死去(仁祖, 時期: 1645年)
昭顕世子の死去と後継者の変更 (時期: 1645年)
大宰相サルー・タキーの暗殺 (時期: 1645年)
1646年
桂王の称号を継承(朱由榔, 時期: 1646年)
鄭芝龍の清朝への降伏 (時期: 1646年)
鄭成功の母・田川氏の死 (時期: 1646年)
南明の永暦政権の成立 (時期: 1646年12月24日)
永暦帝として即位 (時期: 1646年12月24日)
1647年
清軍の侵攻と張献忠の死 (時期: 1647年)
1648年
カンダハールの奪回 (時期: 1648年~1649年2月)
コーカサス地方への軍事介入 (時期: 1648~1660年)
メフメト4世の即位 (時期: 1648年8月8日)
1649年
仁祖の死去と孝宗の即位 (時期: 1649年6月)
1650年
李定国らによる抗清反攻 (時期: 1650年代前半~中盤)
雲南への移駐と地方統治 (時期: 1650年代以降)
財政悪化と官僚行政の問題 (時期: 1650年代半ば~1666年)
ドルゴンの死去と死後の失脚 (時期: 1650年12月~1651年)
狩猟中の事故と死去 (時期: 1650年12月31日)
1651年
順治帝による親政の開始 (時期: 1651年以降)
ドルゴン死後の親政 (時期: 1651年以降)
ドルゴンの死後の称号剥奪と遺体への処罰 (時期: 1651年)
ロシアとの国境紛争 (時期: 1651~1653年)
キョセム・スルタンの殺害 (時期: 1651年9月2日)
1653年
皇后の廃位 (時期: 1653年)
1654年
財政改革の試み (時期: 1654年以降)
1655年
延平郡王への封爵 (時期: 1655年)
1656年
キョプリュリュ時代の始まり (時期: 1656年)
ユダヤ人に対する改宗強制政策 (時期: 1656年頃)
1658年
雲南からの撤退 (時期: 1658~1659年頃)
中国への渡航 (時期: 1658年~1660年)
1659年
台湾への遠征計画 (時期: 1659~1661年)
1660年
コンスタンティノープル大火 (時期: 1660年7月4日~5日)
1661年
鄭成功による台湾進出 (時期: 1661年)
永暦帝のビルマ亡命(朱由榔, 時期: 1661年)
天然痘の流行と順治帝の死去 (時期: 1661年2月)
康熙帝の即位と摂政体制の発足 (時期: 1661年2月)
康熙帝の即位 (時期: 1661年2月)
鄭成功の台湾上陸 (時期: 1661年4月)
1662年
永暦帝の処刑 (時期: 1662年)
永暦帝の死後も続いた明朝復興運動 (時期: 1662~1683年)
台湾における鄭氏政権の成立 (時期: 1662年)
フィリピン遠征構想 (時期: 1662年)
永暦帝の清軍への引き渡し (時期: 1662年1月22日)
鄭成功の死去 (時期: 1662年6月23日)
1664年
暦法改訂をめぐる論争とシャールの投獄 (時期: 1664~1665年)
暦法論争(暦獄, 時期: 1664年~1669年)
最初のペルシア・インド旅行(ジャン・シャルダン, 時期: 1664年~1670年)
1665年
地震を契機とした死刑判決の撤回 (時期: 1665年)
釈放後の晩年と死去 (時期: 1665~1666年)
1666年
死去と王位継承(アッバース2世, 時期: 1666年10月26日)
1668年
暦法論争での天文学的実証 (時期: 1668年~1669年)
1669年
康熙帝の親政開始とオボイの失脚 (時期: 1669年)
康熙帝の信任獲得 (時期: 1669年以降)
クレタ島カンディアの攻略 (時期: 1669年9月)
1670年
清朝宮廷における西洋式大砲の導入 (時期: 1670年代~1680年代)
西洋式大砲の製造 (時期: 1670年代~1680年代)
『坤輿全図』などの地図・科学書の制作 (時期: 1670年代)
1671年
ペルシア王戴冠式に関する著作の刊行(ジャン・シャルダン, 時期: 1671年)
2度目のペルシア旅行(ジャン・シャルダン, 時期: 1671年~1677年)
1672年
蒸気で動く小型車両の構想 (時期: 1670年代初頭、特に1672年ごろ)
ブチャチ条約の締結 (時期: 1672年10月18日)
1673年
三藩の乱の鎮圧 (時期: 1673年~1681年)
三藩の乱の開始 (時期: 1673年)
清朝への反乱と昭武政権 (時期: 1673~1678年)
北京古観象台の改修と観測機器の製作 (時期: 1673年~1674年)
1674年
甲寅礼訟 (時期: 1674年)
第19代国王への即位 (時期: 1674年9月)
1677年
ヨーロッパへの帰還 (時期: 1677年~1681年)
1678年
貨幣制度の整備と常平通宝の流通 (時期: 1678年以降)
『康熙永年暦法』の編纂 (時期: 1678年ごろ)
周の皇帝即位 (時期: 1678年3月)
呉三桂の死去と三藩の乱の継続 (時期: 1678年10月2日)
1680年
庚申換局 (時期: 1680年)
1681年
フランスにおけるユグノーへの宗教的圧力とイングランドへの移住(ジャン・シャルダン, 時期: 17世紀後半、特に1681年ごろ)
シャルダンのナイト叙任 (時期: 1681年11月17日)
エスター・ド・ラルディニエール・ペニェとの結婚 (時期: 1681年11月17日)
1682年
王立協会への入会 (時期: 1682年)
1683年
遷界令の解除と沿海地域の再定住 (時期: 1683年~1684年)
台湾の清朝への編入 (時期: 1683年)
ウィーン包囲とオスマン軍の敗北 (時期: 1683年)
第二次ウィーン包囲の失敗 (時期: 1683年7月~9月12日)
1684年
オランダへの外交使節 (時期: 1684年以降)
1686年
『シャルダン旅行記』初巻の刊行(ジャン・シャルダン, 時期: 1686年)
1687年
エディルネでの晩年と死去 (時期: 1687年~1693年1月6日)
メフメト4世の廃位 (時期: 1687年11月8日)
1688年
死去と皇帝による追贈 (時期: 1688年1月28日)
1689年
己巳換局 (時期: 1689年)
ネルチンスク条約の締結 (時期: 1689年9月)
1694年
甲戌換局 (時期: 1694年)
ムハンマド・バーキル・マジュリスィーの台頭と宗教政策の強化 (時期: 1694年以降、特に治世初期)
宗教政策の厳格化 (時期: 1694年~1700年代初頭)
スルターン・フサインの即位 (時期: 1694年8月)
サファヴィー朝君主への即位 (時期: 1694年8月6日)
1695年
ハプスブルク領への第1次遠征 (時期: 1695年)
オマーン勢力による港湾襲撃 (時期: 1695年)
キオス島の奪回 (時期: 1695年2月ごろ)
ムスタファ2世の即位 (時期: 1695年2月6日)
1696年
ハプスブルク領への第2次遠征 (時期: 1696年)
1697年
ゼンタの戦いにおける大敗 (時期: 1697年9月11日)
1699年
スルタン権力の回復を目指す改革 (時期: 1699年~1703年)
バルーチ人勢力によるケルマーン地方への襲撃 (時期: 1699年)
カルロヴィッツ条約の締結 (時期: 1699年1月26日)
1701年
張禧嬪の処刑 (時期: 1701年)
1703年
エディルネ事件とムスタファ2世の退位 (時期: 1703年8月)
エディルネ事件とアフメト3世の即位 (時期: 1703年8月~9月)
アフメト3世への王位継承(ムスタファ2世, 時期: 1703年8月22日)
アフメト3世の即位 (時期: 1703年8月22日)
1708年
皇太子胤礽の廃位と皇位継承問題 (時期: 1708年~1712年)
1709年
ミールワイス・ホータクの反乱 (時期: 1709年)
1710年
『康熙字典』の編纂 (時期: 1710年~1716年)
1711年
『シャルダン旅行記』の増補版刊行(ジャン・シャルダン, 時期: 1711年)
プルト条約の締結 (時期: 1711年7月)
1712年
白頭山定界碑の設置 (時期: 1712年)
1713年
シャルダンの死去 (時期: 1713年1月5日)
1716年
アブダリー勢力の反乱 (時期: 1716年以降)
1718年
チューリップ時代の文化的発展 (時期: 1718年~1730年)
パッサロヴィッツ条約の締結 (時期: 1718年7月21日)
1720年
蕩平策の推進 (時期: 1720年代~1770年代)
軍人として台頭 (時期: 1720年代)
粛宗の死去と景宗への王位継承(粛宗, 時期: 1720年7月12日)
1721年
辛壬士禍(辛壬獄事, 時期: 1721年~1722年)
マフムード・ホータクによるケルマーン攻略 (時期: 1721年)
ケルマーンの陥落 (時期: 1721年)
1722年
退位後の拘束と王朝復活の失敗 (時期: 1722年~1727年)
イスファハーン包囲とスルターン・フサインの退位 (時期: 1722年3月~10月21日)
イスファハーン包囲と王位の譲渡 (時期: 1722年3月~10月21日)
康熙帝の晩年と雍正帝への皇位継承 (時期: 1722年12月)
1724年
英祖の即位と王位継承をめぐる論争(英祖, 時期: 1724年)
英祖の即位 (時期: 1724年)
法制度・行政制度の整備 (時期: 1724年~1776年)
1727年
オスマン語印刷所の設立 (時期: 1727年)
スルターン・フサインの処刑 (時期: 1727年9月9日)
スルターン・フサインの死とサファヴィー朝の衰退 (時期: 1727年9月9日)
1728年
清州での李麟佐の乱の鎮圧 (時期: 1728年)
1729年
タフマースブ2世を支援してサファヴィー朝の領土を回復 (時期: 1729~1732年)
1730年
アフメト3世の晩年と死去 (時期: 1730年~1736年7月1日)
パトロナ・ハリルの反乱 (時期: 1730年9月)
アフメト3世の退位 (時期: 1730年9月)
1736年
ムガン平原でシャーに即位 (時期: 1736年)
1739年
デリー入城と財宝の獲得 (時期: 1739年3~5月)
カルナールの戦い (時期: 1739年2月13日)
デリー虐殺 (時期: 1739年3月22日)
1740年
ムハンマド・タキー・ハーン・シーラーズィーの反乱 (時期: 1740年代半ば)
晩年の統治と反発の拡大 (時期: 1740年代)
1747年
ナーディル・シャー暗殺 (時期: 1747年6月20日)
1750年
均役法の実施 (時期: 1750年)
1758年
カトリック禁止政策 (時期: 1758年)
1762年
思悼世子の死と王位継承への影響(英祖, 時期: 1762年)
思悼世子の死(壬午禍変, 時期: 1762年)
思悼世子の死 (時期: 1762年7月)
1776年
正祖即位をめぐる暗殺計画 (時期: 1776年)
奎章閣の整備 (時期: 1776年以降)
党派融和政策(蕩平策)の推進 (時期: 1776~1800年)
英祖の死去と正祖への継承(英祖, 時期: 1776年4月)
第22代国王への即位 (時期: 1776年4月)
1778年
乾隆帝による名誉回復 (時期: 1778年)
1789年
父・思悼世子の墓所移転と追尊 (時期: 1789年以降)
1790年
壮勇営の設置 (時期: 1785年に設置準備、1790年代に拡充)
1791年
辛亥通共の実施 (時期: 1791年)
辛亥通共による商業改革 (時期: 1791年)
1794年
水原華城の建設 (時期: 1794~1796年)
1800年
正祖の死去と純祖への王位継承(正祖, 時期: 1800年8月18日)
1872年
東京の地名「八重洲」の由来となる (時期: 17世紀初頭以降。八重洲という町名が用いられたのは1872年)
1929年
ピリー・レイスの世界地図の再発見 (時期: 1929年)
地図製作と航海知識の後世への継承(ピリー・レイス, 時期: 16世紀以降、特に1929年以降)
不明
元朝の海外交易と海上交通の発展 (時期: 13世紀末~14世紀前半)
海外地理・交易情報の記録 (時期: 14世紀前半)
大運河の整備・再建 (時期: 15世紀初頭、特に永楽帝の治世)
スペインから逃れた人々の北アフリカへの移送 (時期: 15世紀末~16世紀初頭)
サファヴィー朝の細密画・写本芸術の発展 (時期: 16世紀中頃~1576年)
海上活動の開始 (時期: 16世紀初頭)
オスマン海軍での初期活動 (時期: 16世紀初頭~1530年代)
『小學』など儒教書の普及 (時期: 16世紀前半)
文化・建築の保護と帝国の繁栄 (時期: 16世紀前半~1566年)
東アフリカ沿岸への影響力拡大 (時期: 16世紀後半)
医学書の著述と伝統医学への貢献 (時期: 16世紀後半~17世紀初頭)
明朝における西洋科学知識の受容 (時期: 16世紀末~17世紀初頭)
シルクロードと国際交易の振興 (時期: 17世紀初頭)
朱印船貿易への参加 (時期: 17世紀初頭~1620年)
スペインでの晩年と政治論の執筆 (時期: 17世紀前半~1635年ごろ)
西洋科学の導入と宮廷文化の発展 (時期: 17世紀後半~18世紀初頭)
大同法の拡大 (時期: 17世紀後半~18世紀初頭)
商業と市場の発展 (時期: 17世紀後半~18世紀初頭)
中国典礼問題 (時期: 17世紀末~18世紀初頭)
文体反正 (時期: 18世紀後半、正祖の治世)
バフィンの地理的功績の再評価 (時期: 19世紀以降)
徐福の日本渡来伝説 (時期: 紀元前3世紀頃とされるが、伝承の成立は後世)
後世における忠臣としての再評価 (時期: 明末以降、特に後世の歴史叙述において)

地図

要素
アジア 世界
asia map

関連リンク

他言語

コメント