市民社会の台頭とロマン派音楽の開花

市民社会の台頭とロマン派音楽の開花

音楽

革命の時代における音楽は、王室や教会主導の宮廷音楽から、市民社会や個人の感情を主軸とするロマン派音楽へと大きく変容した。市民階級の台頭に伴いコンサートホールが普及し、音楽家はパトロン依存から独立した芸術家へと自立していった。フランス革命の理念やナショナリズムの高まりは民族主義音楽を生み、各国の民謡や歴史が楽曲に取り入れられた。また、産業革命によるピアノなどの楽器改良や印刷技術の発達は、家庭音楽の普及や作品の広範な流通を後押しした。主観的な情念や幻想、自然描写を重視する表現が確立され、交響曲から歌曲、劇音楽に至るまで多彩な名曲が誕生した時代である。

人物一覧

誕生 没年 出身 没年齢
1770年
1797年
1803年
1810年
1811年
1813年
1818年
1833年

年表

分類
要素
西暦 音楽
1770年
幼少期からの音楽教育(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン, 時期: 1770年代~1780年代, 場所: ボン)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの誕生 (時期: 1770年12月16日頃(1770年12月17日に洗礼。正確な出生日は記録が残っていないため、12月16日が一般的に推定されている), 場所: ボン(現在のドイツ・ノルトライン=ヴェストファーレン州))
1784年
宮廷音楽家としての活動開始(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1787年
ウィーンへの最初の訪問(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1792年
第一次対仏大同盟戦争
ウィーンへの恒久的移住(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1794年
フランス軍によるラインラント占領
1795年
ピアニストとしての名声確立(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
ウィーンでの公開演奏会による成功(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン)
1796年
ベートーヴェンの難聴の進行
1797年
フランツ・シューベルトの誕生 (時期: 1797年1月31日, 場所: オーストリア・ウィーン(現在のアルザーグルント地区、ヒンメルプフォルトグルント))
1798年
第二次対仏大同盟戦争
1800年
交響曲第1番の初演
1802年
ハイリゲンシュタットの遺書
1803年
「英雄」交響曲第3番の作曲
エクトル・ベルリオーズの誕生 (時期: 1803年12月11日, 場所: フランス・ラ・コート=サン=タンドレ)
1805年
第三次対仏大同盟戦争
オペラ「フィデリオ」の初演
1806年
第四次対仏大同盟戦争
1808年
シュタットコンヴィクトへの入学(フランツ・シューベルト)
第五交響曲・第六交響曲の初演
1809年
第五次対仏大同盟戦争
「皇帝」協奏曲の完成・初演
1809年のフランス軍によるウィーン占領
1810年
シューベルティアーデの形成(フランツ・シューベルト)
フリデリク・ショパンの誕生 (時期: 1810年3月1日(洗礼記録・出生記録には1810年2月22日とする記載もある), 場所: ポーランド・ジェラゾヴァ・ヴォラ(現在のソハチェフ郡ソハチェフ市近郊))
ワルシャワへの移住(フリデリク・ショパン, 時期: 1810年10月頃, 場所: ポーランド・ワルシャワ)
1811年
リスト・フェレンツの誕生 (時期: 1811年10月22日, 場所: オーストリア・ライディング(出生当時はハンガリー王国ドボルヤーン))
1812年
「不滅の恋人」書簡
アントニオ・サリエリへの師事(フランツ・シューベルト)
母マリア・エリーザベトの死去(フランツ・シューベルト)
1813年
ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナーの誕生 (時期: 1813年5月22日, 場所: ドイツ・ライプツィヒ)
父カール・フリードリヒ・ワーグナーの死去 (時期: 1813年11月23日頃, 場所: ドイツ・ライプツィヒ)
「ウェリントンの勝利」の成功
1814年
ウィーン会議
父の学校での教師生活(フランツ・シューベルト)
結婚(フランツ・シューベルト,テレーゼ・グロープ)
1815年
「魔王」の作曲
1816年
父の学校での教員生活からの離脱(フランツ・シューベルト)
最初のピアノ教師ヴォイチェフ・ジヴヌィへの師事(フリデリク・ショパン)
1818年
シャルル・グノーの誕生 (時期: 1818年6月17日, 場所: フランス・パリ)
1821年
医学から音楽への進路変更(エクトル・ベルリオーズ)
1822年
少年時代のウィーンでの神童としての成功(リスト・フェレンツ)
カール・チェルニーへの師事(リスト・フェレンツ)
1823年
「美しき水車小屋の娘」の作曲
パリへの移住(リスト・フェレンツ)
パリでの音楽活動開始(リスト・フェレンツ)
1824年
後期弦楽四重奏曲の創作
幼少期の音楽教育(ヨハネス・ブラームス)
交響曲第9番「合唱付き」の初演
1826年
パリ音楽院への入学(エクトル・ベルリオーズ)
ワルシャワ音楽院での音楽教育(フリデリク・ショパン)
1827年
「冬の旅」の作曲
ハリエット・スミスソンとの出会い(エクトル・ベルリオーズ)
ベートーヴェンの葬儀への参列(フランツ・シューベルト)
父アーダム・リストの死(リスト・フェレンツ)
1828年
最晩年の作品制作(フランツ・シューベルト)
自作による公開演奏会(フランツ・シューベルト)
死去とベートーヴェンの近くへの埋葬(フランツ・シューベルト)
1829年
ウィーンでの演奏活動(フリデリク・ショパン)
ウィルヘルミーネ・シュレーダー=デーフリエントとの出会い(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)
1830年
七月王政期のフランス国内の政治的・軍事的緊張
ローマ大賞の受賞(エクトル・ベルリオーズ)
音楽評論家としての活動(エクトル・ベルリオーズ)
ポーランドを題材とした作品の発展(フリデリク・ショパン)
ヨーロッパ巡演とヴィルトゥオーゾとしての確立(リスト・フェレンツ)
七月革命
ポーランド・ロシア戦争
ワルシャワ出発と祖国との別離(フリデリク・ショパン)
ワルシャワ蜂起・十一月蜂起の勃発
「幻想交響曲」の初演
1831年
マリー・モークとの婚約破棄と復讐計画(エクトル・ベルリオーズ)
イタリア留学(エクトル・ベルリオーズ)
ライプツィヒ大学での学習(ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ)
ワルシャワ陥落
パリへの定住(フリデリク・ショパン)
1832年
パリでの作曲家・ピアノ教師としての活動開始(フリデリク・ショパン)
パガニーニの演奏との出会い(リスト・フェレンツ)
1833年
ヨハネス・ブラームスの誕生 (時期: 1833年5月7日, 場所: ドイツ・ハンブルク)
結婚(エクトル・ベルリオーズ,ハリエット・コンスタンス・スミスソン)
ニコロ・パガニーニからの称賛(エクトル・ベルリオーズ)
1835年
マリア・ヴォジンスカとの婚約の破綻(フリデリク・ショパン)
「巡礼の年」につながる旅行(リスト・フェレンツ)
結婚(リスト・フェレンツ,マリー・ダグー伯爵結婚)
1836年
ジョルジュ・サンドとの関係の開始(フリデリク・ショパン)
マリア・ヴォジンスカとの婚約(フリデリク・ショパン)
マグデブルク劇場の経営破綻
パリ音楽院への入学(シャルル・グノー)
結婚(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー,ミンナ・プラーナー)
1837年
「レクイエム」の初演
1838年
ジョルジュ・サンドとの共同生活(フリデリク・ショパン)
「リエンツィ」の完成とパリでの活動(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)
マヨルカ島での病気(フリデリク・ショパン)
1839年
ベートーヴェン記念碑建立への支援(リスト・フェレンツ)
リガからの逃亡(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)
ローマ大賞の受賞(シャルル・グノー)
イタリア留学とパレストリーナ音楽との出会い(シャルル・グノー)
ローマ留学(シャルル・グノー)
「ロミオとジュリエット」の初演
1840年
ハリエット・スミスソンとの別居(エクトル・ベルリオーズ)
聖職者を志した時期(シャルル・グノー)
1841年
「レ・ニュイ・デテ(夏の夜)」の作曲
1842年
「リエンツィ」の初演
1843年
オルガニスト・聖歌隊指揮者としての活動(シャルル・グノー)
「さまよえるオランダ人」の上演
1844年
「管弦楽法・作曲法」の出版
マリー・ダグーとの別離(リスト・フェレンツ)
1845年
「タンホイザー」の初演
1846年
「ファウストの劫罰」の初演
1847年
ジョルジュ・サンドとの別離(フリデリク・ショパン)
カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタインとの関係開始(リスト・フェレンツ)
ヴィルトゥオーゾ活動からの引退(リスト・フェレンツ)
結婚(リスト・フェレンツ,カロリーネ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵結婚)
1848年
1848年ハンガリー革命・独立戦争
ワイマール宮廷楽長としての活動(リスト・フェレンツ)
「ローエングリン」の完成
「ニーベルングの指環」完成への活動
第一次シュレースヴィヒ戦争
最後のパリ公開演奏会(フリデリク・ショパン)
イギリス・スコットランド演奏旅行(フリデリク・ショパン)
イギリス・スコットランドへの最後の演奏旅行(フリデリク・ショパン)
1849年
最晩年の病状悪化と死去(フリデリク・ショパン)
ドイツからの亡命(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)
「芸術と革命」「未来の芸術作品」などの芸術論の執筆
ドレスデン五月蜂起への参加(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー)
ペール・ラシェーズ墓地への埋葬(フリデリク・ショパン)
1850年
交響詩の確立
エドゥアルト・レメーニとの出会い(ヨハネス・ブラームス)
1852年
パリ市オルフェオン協会の指揮者(シャルル・グノー)
「アヴェ・マリア」の成立
結婚(シャルル・グノー,アンナ・ジンマーマン)
1853年
ヨーゼフ・ヨアヒムとの出会い(ヨハネス・ブラームス)
エドゥアルト・レメーニとの演奏旅行(ヨハネス・ブラームス)
ロベルト・シューマンとの出会い(ヨハネス・ブラームス)
シューマンによる「新しい道」の評論
1854年
ロベルト・シューマンの精神疾患と死去
クララ・シューマンとの親密な関係(ヨハネス・ブラームス)
結婚(ヨハネス・ブラームス,クララ・シューマン)
ハリエット・スミスソンの死去(エクトル・ベルリオーズ)
結婚(エクトル・ベルリオーズ,マリー・レシオ(本名)
「キリストの幼時」の成功
1856年
「トロイアの人々」の完成
1857年
「トリスタンとイゾルデ」の作曲
デトモルト宮廷での活動(ヨハネス・ブラームス)
1858年
フランス学士院への選出(エクトル・ベルリオーズ)
1859年
「ファウスト」による国際的名声の確立(シャルル・グノー)
「ファウスト」の初演と成功
息子ダニエル・リストの死去(リスト・フェレンツ)
1860年
カロリーネとの結婚計画の中止(リスト・フェレンツ)
ドイツ統一戦争・普仏戦争
1861年
ワイマールからの引退(リスト・フェレンツ)
1862年
ウィーンへの定住(ヨハネス・ブラームス)
「ベアトリスとベネディクト」の初演
1863年
「トロイアの人々」の一部初演
1864年
バイエルン国王ルートヴィヒ2世との出会い
1865年
「ドイツ・レクイエム」の完成
ローマでの下級聖職叙階(リスト・フェレンツ)
「トリスタンとイゾルデ」の初演
1866年
フランス芸術アカデミー会員(シャルル・グノー)
ミンナ・ワーグナーの死去
1867年
最後のロシア演奏旅行(エクトル・ベルリオーズ)
「ロミオとジュリエット」の成功(シャルル・グノー)
1868年
ドイツ・レクイエムの初演
1869年
「ハンガリー舞曲」の出版
1870年
ブダペスト音楽院への関与(リスト・フェレンツ)
普仏戦争によるイギリス避難
ロンドン滞在と合唱活動(シャルル・グノー)
結婚(ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー,コジマ・フォン・ビューロー)
1871年
バイロイト祝祭劇場の建設
ジョージナ・ウェルドンとの関係と決別(シャルル・グノー)
1874年
フランスへの帰国(シャルル・グノー)
1876年
第1回バイロイト音楽祭と「ニーベルングの指環」全曲初演
1877年
交響曲第2番の完成
1879年
ヴァイオリン協奏曲の初演
1880年
晩年の宗教音楽への回帰
1882年
「パルジファル」の完成
「パルジファル」の初演
1883年
交響曲第3番の完成と初演
1884年
交響曲第4番の完成と初演
1886年
バイロイト音楽祭への参加(リスト・フェレンツ)
1893年
1896年
クララ・シューマンの死去と最後の作品(ヨハネス・ブラームス)
クララ・シューマンの死去
1897年
不明
結婚(リスト・フェレンツ,なし, 時期: 生涯、正式な結婚はなし, 場所: なし)
結婚(ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン,なし, 時期: 生涯未婚, 場所: 該当なし)
結婚(フランツ・シューベルト,なし, 時期: 生涯未婚, 場所: なし)
結婚(フリデリク・ショパン,なし, 時期: 生涯未婚, 場所: なし)
結婚(ヨハネス・ブラームス,なし, 時期: 生涯未婚, 場所: なし)

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