アンソニス・ファン・ダイク:洗練された宮廷肖像画の開拓

アンソニス・ファン・ダイク:洗練された宮廷肖像画の開拓

アンソニス・ファン・ダイク

フランドル・バロックを代表する画家・版画家。特に肖像画に優れ、イングランド王チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリア、王族や貴族の肖像を数多く制作した。若い頃から画才を示し、ピーテル・パウル・ルーベンスの工房で重要な助手として活動した後、イタリアでティツィアーノらの作品を研究し、ジェノヴァの貴族を中心に肖像画家として成功した。1632年にロンドンへ移り、チャールズ1世の宮廷首席画家となり、イングランドの肖像画に長期的な影響を与えた。1632年には騎士に叙せられ、1638年にはイングランドの市民権を与えられた。絵画だけでなくエッチングにも優れ、「ヴァン・ダイクひげ」や「ヴァン・ダイク・カラー」の名称にもその影響が残っている。

年表

分類
要素
西暦 アンソニス・ファン・ダイク
1599年
アンソニス・ファン・ダイクの誕生 (時期: 1599年3月22日, 場所: アントウェルペン(ベルギー))
1609年
ヘンドリック・ファン・バーレンへの弟子入り(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 9歳, 時期: 1609年頃~1613年頃, 場所: アントウェルペン(現在のベルギー))
1610年
ピーテル・パウル・ルーベンスの工房で活動(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 10歳, 時期: 1610年代後半~1620年頃, 場所: アントウェルペン(現在のベルギー))
1615年
独立工房の開設(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 15歳, 時期: 1615年~1616年頃, 場所: アントウェルペン(現在のベルギー))
1617年
アントウェルペン聖ルカ組合の親方登録(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 18歳, 時期: 1617年10月18日, 場所: アントウェルペン(現在のベルギー))
1620年
初めてのイングランド訪問(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 20歳, 時期: 1620年, 場所: ロンドン(イングランド))
1621年
イタリア滞在(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 21歳, 時期: 1621年~1627年, 場所: ジェノヴァ、ローマ、パレルモなど(現在のイタリア))
1624年
パレルモの疫病と隔離 (年齢: 24歳, 時期: 1624年, 場所: パレルモ(シチリア、現在のイタリア))
1627年
アントウェルペン帰還と肖像画家としての活動(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 27歳, 時期: 1627年~1632年, 場所: アントウェルペン、ブリュッセル(現在のベルギー))
1632年
チャールズ1世による宮廷画家への登用(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 32歳, 時期: 1632年, 場所: ロンドン(イングランド))
ロンドンへの移住とチャールズ1世の宮廷画家就任(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 33歳, 時期: 1632年4月以降, 場所: ロンドン(イングランド))
騎士叙任(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 33歳, 時期: 1632年7月, 場所: ロンドン(イングランド))
1635年
「チャールズ1世の三面肖像」の制作 (年齢: 35歳, 時期: 1635年~1636年, 場所: ロンドン(イングランド))
1638年
イングランド市民権の付与(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 38歳, 時期: 1638年, 場所: ロンドン(イングランド))
1640年
フランス・スペイン戦争と宮廷政治の緊張 (年齢: 40歳, 時期: 1640年~1641年, 場所: フランドル、フランス、イングランド)
結婚(アンソニス・ファン・ダイク,メアリー・ルースヴェン, 年齢: 40歳, 時期: 1640年2月27日, 場所: ロンドン(イングランド))
1641年
リシュリュー枢機卿の肖像制作のためのパリ滞在 (年齢: 41歳, 時期: 1641年, 場所: パリ(フランス))
アンソニス・ファン・ダイクの没年 (年齢: 42歳, 時期: 1641年12月9日)
1642年
イングランド内戦 (年齢: 42歳, 時期: 1642年~1651年, 場所: イングランドを中心とするイギリス諸島)
1666年
ロンドン大火による墓の焼失(アンソニス・ファン・ダイク, 年齢: 没後24年, 時期: 1666年, 場所: セント・ポール大聖堂(ロンドン))

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