大航海時代の覇権を握ったイギリス東インド会社の軌跡
イギリス東インド会社
1600年に設立されたイギリス東インド会社は、アジアとの香料貿易や特産品取引を目的に発足し、徐々に商業団体から強力な植民地支配機構へと変貌を遂げました。オランダなど競合国との激しい主導権争いを制するため、自前の軍隊を組織して各地に要塞や貿易拠点を設置。プラッシーの戦いなどを経てインド全域を実質的に統治する政治・軍事機関へと拡大し、近世世界の貿易網と大英帝国の礎を築きました。
人物一覧
誕生
没年
出身
没年齢
| 16世紀: 不明(16世紀後半生まれと考えられる) | |
|---|---|
| 1550年 |
|
| 1554年 |
|
| 1570年 |
|
| 1577年 |
|
| 1581年 |
|
| 1630年 |
|
| 1630年 |
|
| 1640年 |
|
年表
| 分類 |
|
|---|---|
| 要素 |
|
| 西暦 | イギリス東インド会社 |
|---|---|
| 1550年 |
ジョン・デイヴィスの誕生 (時期: 約1550年(正確な月日不明), 場所: ダートマス(Dartmouth)近郊のサンドリッジ(Sandridge)、デヴォン州、イングランド。現在の行政上はストーク・ガブリエル周辺にあたる)
|
| 1554年 |
ジェームズ・ランカスターの誕生 (時期: 約1554年, 場所: ベイジングストーク(Basingstoke、イングランド・ハンプシャー))
|
| 1568年 | |
| 1570年 |
トーマス・ベストの誕生 (時期: 1570年頃(正確な月日・出生年は不明), 場所: 不明(birth_placeを特定できる確実な資料は確認されていない))
|
| 1577年 |
ウィリアム・キーリングの誕生 (時期: 1577年頃(正確な月日・birth_placeは不明), 場所: 不明)
|
| 1581年 |
トーマス・ローの誕生 (時期: 1581年ごろ, 場所: ロンドン(現在のロンドン・ウォルサム・フォレスト区、レイトン付近))
|
| 1582年 |
結婚(ジョン・デイヴィス,フェイス・フルフォード)
|
| 1583年 |
海上活動の開始(トーマス・ベスト)
|
| 1585年 |
北西航路探索におけるイヌイットとの最初期の接触
第1回北西航路探索航海
|
| 1586年 |
1586年北極航海におけるイヌイットとの衝突
第2回北西航路探索航海
|
| 1587年 |
第3回北西航路探索航海
|
| 1588年 |
スペイン無敵艦隊への対抗
スペイン無敵艦隊との戦いへの参加(ジョン・デイヴィス)
|
| 1589年 |
アゾレス諸島遠征への参加(ジョン・デイヴィス)
|
| 1591年 |
最初のイングランド東インド航海(ジェームズ・ランカスター)
トーマス・キャヴェンディッシュの最後の航海への参加
|
| 1592年 |
ペナン島での活動とオラン・アスリとの接触(ジェームズ・ランカスター)
フォークランド諸島の発見
|
| 1594年 |
英西戦争・英葡海上抗争に関連する私掠活動
『The Seaman’s Secrets』の刊行
|
| 1595年 |
レシフェ占領・略奪
|
| 1597年 |
王室への仕官と叙爵(トーマス・ロー)
|
| 1598年 |
オランダ東インド遠征への参加
|
| 1601年 |
東インド航海における壊血病問題
東インド会社第1回航海の指揮(ジェームズ・ランカスター)
イギリス東インド会社第1回航海への参加
ポルトガル・オランダ戦争 (時期: 1601年~1663年, 場所: インド洋、インド、東南アジアなど)
東インド会社第1回航海への参加 (時期: 1601年~1603年, 場所: アチェ、スマトラ、プリアマン、インド洋など)
|
| 1602年 |
オランダ・ポルトガル戦争
プリアマンでの香辛料買付 (時期: 1602年~1603年, 場所: プリアマン(現在のインドネシア・西スマトラ州パリアマン))
|
| 1603年 |
ナイト爵位授与(ジェームズ・ランカスター)
|
| 1604年 |
最後の東インド航海(ジョン・デイヴィス)
1604年東インド会社第2回航海での船員減少
東インド会社第2回航海への参加
英蘭香辛料貿易競争・初期英蘭海上対立 (時期: 1604年以降, 場所: モルッカ諸島、バンダ諸島、アンボン島、ジャワ島など)
東インド会社第2回航海の指揮 (時期: 1604年~1606年, 場所: バンテン、アンボン、バンダ諸島、テルナテ、ティドレなど)
|
| 1605年 |
アンボン島でのオランダ勢力による交易妨害 (時期: 1605年, 場所: アンボン島(現在のインドネシア・マルク州))
ティドレ島・テルナテ島をめぐるポルトガル・オランダ対立 (時期: 1605年, 場所: ティドレ島・テルナテ島(現在のインドネシア・北マルク州))
日本人海賊によるジョン・デイヴィス殺害
ジョン・デイヴィスの没年
|
| 1606年 |
騎士爵位の授与(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1606年5月25日, 場所: グリニッジ(イングランド))
|
| 1607年 |
東インド会社第3回航海の指揮
航海中のシェイクスピア劇上演記録
|
| 1608年 |
アユタヤ王国の使節との面会(ウィリアム・キーリング)
|
| 1609年 |
バンダ諸島での交易拠点建設の試み
ココス諸島の発見
|
| 1610年 |
国王ジェームズ1世からの宮廷職授与(ウィリアム・キーリング)
東インド会社第6回航海の指揮(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1610年~1613年, 場所: アデン、モカ、スーラト、ジャワなど)
モカからの脱出(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1610年末~1611年, 場所: モカ(現在のイエメン))
アマゾン・ギアナ探検(トーマス・ロー)
アデンへの寄港(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1610年11月, 場所: アデン(現在のイエメン))
モカでの襲撃・拘束事件(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1610年11月28日, 場所: モカ(現在のイエメン・アル=フダイダ県))
|
| 1611年 |
スーラト交易計画の失敗(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1611年~1613年, 場所: スーラト(現在のインド・グジャラート州スーラト))
レッド・ドラゴン号の指揮官への任命(トーマス・ベスト)
|
| 1612年 |
東インド会社第10回航海
スワリーの海戦前のポルトガル艦隊との交戦(トーマス・ベスト)
スワリーの海戦(スヴァリの海戦)
|
| 1613年 |
ジャワ島バンテンへの帰還(ヘンリー・ミドルトン, 時期: 1613年, 場所: バンテン(現在のインドネシア・バンテン州))
バンテンでの交易拠点確保
ムガル皇帝ジャハーンギールによる交易権承認
アチェ王との交渉
ヘンリー・ミドルトンの没年 (時期: 1613年5月24日)
|
| 1614年 |
東インド会社との対立と会社からの離脱(トーマス・ベスト)
ムガル帝国宮廷への外交使節(トーマス・ロー)
ムガル帝国への大使就任(トーマス・ロー)
イングランドへの帰国(トーマス・ベスト)
結婚(トーマス・ロー,エレノア・ビーストン)
|
| 1615年 |
1615年東インド会社航海
東インド会社による武力行使権限の付与
結婚(ウィリアム・キーリング,アン)
スーラト東インド会社商館の承認
インド洋・東アフリカ沿岸の探査
|
| 1616年 |
ランカスター・サウンドの命名(ジェームズ・ランカスター)
|
| 1617年 |
東インド会社からの一時的な解雇(トーマス・ベスト)
|
| 1618年 |
カウズ城司令官への就任(ウィリアム・キーリング)
遺言による慈善信託の設立(ジェームズ・ランカスター)
ジェームズ・ランカスターの没年
|
| 1620年 |
コデックス・アレクサンドリヌスと文献収集
ウィリアム・キーリングの没年
|
| 1621年 |
オスマン帝国大使就任(トーマス・ロー)
|
| 1623年 |
英蘭戦争に先行する英蘭海上対立
ガーランド号の指揮(トーマス・ベスト)
オランダ船との交戦
|
| 1624年 |
アルジェ条約とイングランド人捕虜の解放(トーマス・ロー)
|
| 1627年 |
ラ・ロシェル沖遠征への参加
|
| 1629年 |
スウェーデン・ポーランド和平交渉
スウェーデン・ポーランド和平の仲介
|
| 1630年 |
ジョサイア・チャイルドの誕生 (時期: 1630年~1631年ごろ(洗礼日は1630/31年2月27日), 場所: ロンドン(イングランド))
ジョブ・チャーノックの誕生 (時期: 1630年ごろ(正確な月日不明), 場所: ロンドン(イングランド))
国王艦艇管理委員会への参加
|
| 1631年 |
北極探検の後援
|
| 1633年 |
トリニティ・ハウス長への就任(トーマス・ベスト)
|
| 1637年 |
ガーター騎士団長官就任(トーマス・ロー)
|
| 1638年 |
トーマス・ベストの没年
木材供給不正調査委員会への参加
|
| 1640年 |
ジェラルド・オージャーの誕生 (時期: 1640年ごろ(正確な月日・出生年は不明), 場所: ダブリン(アイルランド)と推定)
長期議会と晩年の和平活動(トーマス・ロー)
|
| 1641年 |
イングランド内戦期の和平外交
神聖ローマ帝国への大使(トーマス・ロー)
|
| 1644年 |
トーマス・ローの没年
|
| 1650年 |
ポーツマス市政への進出(ジョサイア・チャイルド)
|
| 1654年 |
結婚(ジョサイア・チャイルド,ハンナ・ボート)
|
| 1655年 |
海軍への物資供給事業開始
|
| 1658年 |
東インド会社への参加(ジョブ・チャーノック)
|
| 1659年 |
ピータースフィールド選出の国会議員(ジョサイア・チャイルド)
パトナ商館への赴任(ジョブ・チャーノック)
|
| 1661年 |
ポルトガルからイギリスへのボンベイ領有権移管
東インド会社スーラト商館への入社(ジェラルド・オージャー)
|
| 1663年 |
スーラト商館倉庫管理者就任(ジェラルド・オージャー)
結婚(ジョサイア・チャイルド,メアリー・アトウッド)
|
| 1666年 |
上級商人への昇進(ジョブ・チャーノック)
|
| 1668年 |
「Brief Observations concerning Trade and the Interest of Money」刊行
|
| 1669年 |
ボンベイへの商人・職人の誘致
スーラト商館長兼ボンベイ総督就任(ジェラルド・オージャー)
|
| 1670年 |
ムガル帝国・マラーター間の戦争・対立
ボンベイ統治制度の整備
パンチャーヤト制度の導入
ボンベイ民兵組織の整備
ボンベイを西インド統治の中心とする構想
シヴァージーによる第二次スーラト略奪
|
| 1672年 |
第三次英蘭戦争
|
| 1673年 |
ダートマス選出の国会議員(ジョサイア・チャイルド)
ワンステッド荘園の購入(ジョサイア・チャイルド)
|
| 1674年 |
ボンベイの兵士反乱と最初のイギリス法による処刑
|
| 1675年 |
コラバ島・オールド・ウーマン島の取得(ジェラルド・オージャー)
|
| 1676年 |
ボンベイ造幣局の設置
ベンガル東インド会社組織の主要人物への昇進(ジョブ・チャーノック)
結婚(ジョサイア・チャイルド,エマ・ウィロビー)
|
| 1677年 |
東インド会社取締役就任(ジョサイア・チャイルド)
宗教的寛容を保証する特許状
ジェラルド・オージャーの没年
死去とスーラト埋葬(ジェラルド・オージャー)
|
| 1678年 |
ワンステッド準男爵叙爵(ジョサイア・チャイルド)
ヒンドゥー女性マリアとの共同生活(ジョブ・チャーノック)
結婚(ジョブ・チャーノック,マリア)
|
| 1679年 |
カシンバザール商館長就任(ジョブ・チャーノック)
|
| 1681年 |
東インド会社総裁就任(ジョサイア・チャイルド)
|
| 1682年 |
ベンガル貿易交渉の決裂
|
| 1685年 |
東インド会社の対ムガル強硬政策への転換
ルドロー選出の国会議員(ジョサイア・チャイルド)
|
| 1686年 |
英ムガル戦争
英ムガル戦争の指導(ジョサイア・チャイルド)
カシンバザール商館の包囲
フーグリーへの移転(ジョブ・チャーノック)
フーグリーからスータヌティへの撤退(ジョブ・チャーノック)
スータヌティへの最初の定着
|
| 1687年 |
ヒジリ包囲戦
スータヌティへの再移動(ジョブ・チャーノック)
|
| 1689年 |
エセックス州長官就任(ジョサイア・チャイルド)
マドラスでのベンガル再進出計画
ベンガルからマドラスへの撤退(ジョブ・チャーノック)
|
| 1690年 |
ムガル帝国への謝罪と東インド会社の交易特権回復
「A New Discourse of Trade」刊行
アウラングゼーブによるベンガル再交易許可
カルカッタへの帰還と東インド会社本拠地の設置
|
| 1692年 |
ベンガル代理店のマドラスからの独立
|
| 1693年 |
ジョブ・チャーノックの没年
|
| 1699年 |
ジョサイア・チャイルドの没年
死去とワンステッドへの埋葬(ジョサイア・チャイルド)
|
| 不明 |
デイヴィス象限儀の考案 (時期: 16世紀末, 場所: イングランド)
ヘンリー・ミドルトンの誕生 (時期: 不明(16世紀後半生まれと考えられる), 場所: チェスター(イングランド、現在のイギリス・チェシャー州)と考えられる)
結婚(ジェラルド・オージャー,なし, 時期: 生涯未婚, 場所: 該当なし)
結婚(ジェームズ・ランカスター,確認できず, 時期: 確認できず, 場所: 確認できず)
ポルトガルでの商人・兵士としての生活(ジェームズ・ランカスター, 時期: 青年期~1587年, 場所: ポルトガル)
|
地図
| グループ |
|
|---|---|
| 要素 |
|
ヨーロッパ
世界
関連リンク
| グループ | リスト |
|---|---|
| 中央ヨーロッパ | 神聖ローマ帝国 ハプスブルク家 科学と天文学 音楽・美術 |
| 西ヨーロッパ | イギリス東インド会社 イギリスの北米進出 科学革命と天文学 芸術・文化 |
コメント