大航海時代の音楽・美術:文化の交流とバロック芸術の開花

大航海時代の音楽・美術:文化の交流とバロック芸術の開花

音楽・美術

大航海時代から近世にかけてのヨーロッパでは、海外進出や交易の拡大に伴い文化・思想が多様化し、ルネサンスからバロック芸術へと大きく発展した。美術分野では宗教画や神話画に加え、市民階級の台頭により静物画や風俗画などの多様なジャンルが成立。音楽分野では教会音楽の隆盛とともに、オペラや器楽合奏といった新たな表現様式が確立された。また、新大陸やアジアからもたらされた未知のモチーフや装飾技術は西欧の芸術家たちに深いインスピレーションを与え、世界規模の文化交流が芸術の表現表現の幅を爆発的に広げる原動力となった。

人物一覧

誕生 没年 出身 没年齢
1577年
1585年
1637年
1653年
1668年
1681年
1685年
1687年

年表

分類
要素
西暦 音楽・美術
1566年
ネーデルラントの聖像破壊運動
1568年
1577年
ピーテル・パウル・ルーベンスの誕生 (時期: 1577年6月28日, 場所: ジーゲン(ドイツ、現在のノルトライン=ヴェストファーレン州))
1585年
ハインリヒ・シュッツの誕生 (時期: 1585年10月8日(10月9日に洗礼), 場所: バート・ケストリッツ(現在のドイツ・テューリンゲン州))
1598年
アントウェルペンで画家として独立(ピーテル・パウル・ルーベンス)
モーリッツ・フォン・ヘッセン=カッセルによる才能の発見(ハインリヒ・シュッツ)
1599年
カッセル宮廷学校での教育(ハインリヒ・シュッツ)
1600年
イタリア滞在と芸術研究(ピーテル・パウル・ルーベンス)
1608年
アントウェルペンへの帰還と宮廷画家就任(ピーテル・パウル・ルーベンス)
マールブルクでの法学研究(ハインリヒ・シュッツ)
1609年
ジョヴァンニ・ガブリエリへの音楽留学(ハインリヒ・シュッツ)
結婚(ピーテル・パウル・ルーベンス,イザベラ・ブラント)
1613年
カッセル宮廷オルガニスト就任(ハインリヒ・シュッツ)
1615年
ドレスデン宮廷への移籍(ハインリヒ・シュッツ)
1617年
ザクセン選帝侯宮廷楽長への就任(ハインリヒ・シュッツ)
1618年
1619年
『ダヴィデの詩篇』出版
結婚(ハインリヒ・シュッツ,マグダレーナ・ヴィルデック)
1621年
十二年休戦の終了
マリー・ド・メディシスの連作制作
外交官としての活動(ピーテル・パウル・ルーベンス)
1627年
『ダフネ』の上演
1628年
二度目のヴェネツィア滞在(ハインリヒ・シュッツ)
1630年
スペインとイングランドからの叙爵・騎士叙任(ピーテル・パウル・ルーベンス)
三十年戦争によるドレスデン宮廷音楽活動の衰退
マドリード条約
結婚(ピーテル・パウル・ルーベンス,ヘレナ・フールマン)
1633年
コペンハーゲン宮廷での活動(ハインリヒ・シュッツ)
1635年
ステーン城館の購入(ピーテル・パウル・ルーベンス)
1637年
ディートリヒ・ブクステフーデの誕生 (時期: 1637年頃(正確な月日不詳), 場所: ヘルシンボリ(現在のスウェーデン・スコーネ県)。ただし、オルデスロー(現在のドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州)やヘルシンゲル(現在のデンマーク)をbirth_placeとする説もある。)
1640年
1643年
トルステンソン戦争
1648年
三十年戦争の終結
『宗教的合唱音楽』の出版
1653年
ヨハン・パッヘルベルの誕生 (時期: 1653年9月1日(洗礼日, 場所: ニュルンベルク(現在のドイツ・バイエルン州))
1655年
ヴォルフェンビュッテル宮廷楽長職への就任(ハインリヒ・シュッツ)
1657年
第一次デンマーク=スウェーデン戦争
ヘルシンボリでのオルガニスト活動(ディートリヒ・ブクステフーデ)
1658年
第二次デンマーク=スウェーデン戦争
スコーネ地方のスウェーデン領化
ロスキレ条約
1660年
ヘルシンゲル聖マリア教会のオルガニスト就任(ディートリヒ・ブクステフーデ)
ニュルンベルクでの音楽教育(ヨハン・パッヘルベル)
1668年
アーベントムジークの発展
リューベック聖マリア教会への移籍(ディートリヒ・ブクステフーデ)
リューベック聖マリア教会のオルガニスト就任(ディートリヒ・ブクステフーデ)
結婚(ディートリヒ・ブクステフーデ,アンナ・マルガレータ・トゥンダー)
ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラントの誕生 (時期: 1668年11月14日, 場所: ジェノヴァ(現在のイタリア、リグーリア州))
1669年
聖マリア教会の音楽施設拡充
アルトドルフでのオルガニスト活動(ヨハン・パッヘルベル)
アルトドルフ大学への入学(ヨハン・パッヘルベル)
1670年
レーゲンスブルクでの音楽研究(ヨハン・パッヘルベル)
1672年
1673年
アーベントムジークの定着
ウィーンでの聖シュテファン大聖堂オルガニスト活動(ヨハン・パッヘルベル)
1677年
アイゼナハ宮廷オルガニスト就任(ヨハン・パッヘルベル)
1678年
宗教的・劇的作品の上演(ディートリヒ・ブクステフーデ)
エアフルト・プレディガー教会オルガニスト就任(ヨハン・パッヘルベル)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ一族との交流
1680年
ローマでの建築・軍事工学の修学(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
1681年
ゲオルク・フィリップ・テレマンの誕生 (時期: 1681年3月14日, 場所: マクデブルク(現在のドイツ・ザクセン=アンハルト州))
結婚(ヨハン・パッヘルベル,バルバラ・ガブラー)
1683年
エアフルトのペスト流行
1684年
結婚(ヨハン・パッヘルベル,ユディト・ドロマー)
1685年
父ハインリヒ・テレマンの死去(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハの誕生 (時期: 1685年3月21日(ユリウス暦、グレゴリオ暦では3月31日), 場所: アイゼナハ(ドイツ、テューリンゲン州))
1687年
ヨハン・バルタザール・ノイマンの誕生 (時期: 1687年1月27日, 場所: チェコ共和国・ヘプ(旧エーガー))
1688年
1690年
シュトゥットガルト宮廷音楽家就任(ヨハン・パッヘルベル)
家族による音楽活動への反対(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
1692年
フランス軍のシュトゥットガルト侵攻・侵入
ゴータ市オルガニスト就任(ヨハン・パッヘルベル)
1694年
ツェラーフェルトでの学校教育(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
両親の死とオールドルフへの移住(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
ヨハン・クリストフ・バッハの結婚式への参加(ヨハン・パッヘルベル)
1695年
ニュルンベルク市による聖ゼーバルドゥス教会オルガニストへの招聘
ニュルンベルク聖ゼーバルドゥス教会オルガニスト就任(ヨハン・パッヘルベル)
ピエモンテ方面作戦への従軍(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
帝国軍の軍事技師として活動(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
プリンツ・オイゲンの冬宮殿の建設
1696年
ウィーンへの移住(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
ヴィジェヴァーノ条約によるピエモンテ方面作戦の終結
1697年
ヒルデスハイム・アンドレアヌム校での教育(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
シュヴァルツェンベルク宮殿の建設
1699年
『Hexachordum Apollinis』出版
宮廷建築家としての地位をめぐるフィッシャー・フォン・エルラッハとの競争(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
1700年
大北方戦争
リューネブルクの聖ミヒャエル学校での学習(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
宮廷技師への就任(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
1701年
ライプツィヒでの音楽家としての転身(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
ライプツィヒ大学での法律研究(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
1702年
ライプツィヒ・トーマス教会との関係形成(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
コレギウム・ムジクムの創設
サヴォイア城の建設
1703年
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルとヨハン・マッテゾンの訪問
アルンシュタットのオルガニスト就任(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1704年
ライプツィヒ・ノイエ教会のオルガニスト就任(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
1705年
ヨハン・ゼバスティアン・バッハのリューベック訪問
ソラウ宮廷楽長就任(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
アルンシュタットのゲイヤースバッハ事件
1706年
結婚(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント,フランツィスカ・ヨハンナ・ペルペトゥア・ガイスト)
1707年
ミュールハウゼン時代と最初の結婚(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
結婚(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ,マリア・バルバラ・バッハ)
1708年
アイゼナハ宮廷楽長就任(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
ヴァイマル宮廷オルガニスト・コンサートマスター時代(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1709年
結婚(ゲオルク・フィリップ・テレマン,アマリー・ルイーゼ・ユリアーネ・エーバーリン)
1711年
宮廷建築局長への就任(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
ヴュルツブルクへの移住(ヨハン・バルタザール・ノイマン)
1712年
フランクフルト市音楽監督就任(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
ヴュルツブルク砲兵隊への入隊(ヨハン・バルタザール・ノイマン)
1713年
キンスキー宮殿の建設
1714年
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの名付け親となる(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
下部ベルヴェデーレの建設
結婚(ゲオルク・フィリップ・テレマン,マリア・カタリーナ・テクストル)
1715年
テレマン出版社の設立
1716年
ブロッケス受難曲の初演
オーストリア・トルコ戦争
1717年
ケーテン宮廷楽長時代(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
ヴァイマルでの辞職・拘禁事件(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1719年
ヴュルツブルク司教館の建設開始
1720年
ハンブルクでの経済的・家庭的危機(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
マリア・バルバラの死去と再婚(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
帝国貴族への叙爵(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
ヴュルツブルク司教館への関与(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
1721年
ハンブルクの主要5教会の音楽監督就任(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
上部ベルヴェデーレの建設
シェーンボルン礼拝堂の建設
結婚(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ,アンナ・マクダレーナ・ヴィルケ)
1722年
ライプツィヒのトーマスカントル職への応募と辞退(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
ハンブルク・オペラの指導(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
1723年
ライプツィヒの聖トーマス教会カントル就任(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
宮廷第一建築家への就任(ヨハン・ルーカス・フォン・ヒルデブラント)
フランス建築研究旅行(ヨハン・バルタザール・ノイマン)
1724年
『ヨハネ受難曲』初演
メーデルホーフェン狩猟館計画の中止
1725年
結婚(ヨハン・バルタザール・ノイマン,マリア・エーファ・エンゲルベルツ)
1727年
『マタイ受難曲』初演
1730年
ライプツィヒ市当局との音楽環境・職務をめぐる対立(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1731年
ヴュルツブルク大学での建築教育(ヨハン・バルタザール・ノイマン)
1733年
『ロ短調ミサ曲』の主要部分献呈
1736年
トーマス学校長ヨハン・アウグスト・エルネスティとの「プレフェクト紛争」
ザクセン選帝侯・ポーランド王室作曲家への任命(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1737年
パリ滞在(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
1740年
晩年の作曲活動と理論研究(ゲオルク・フィリップ・テレマン)
『フーガの技法』の作曲
1743年
フィアツェーンハイリゲン巡礼聖堂の設計
1745年
1747年
『音楽の捧げもの』
ネーレスハイム修道院聖堂の設計
1748年
視力悪化と眼科手術(ヨハン・ゼバスティアン・バッハ)
1750年
1753年
1767年
不明
晩年のヴァイセンフェルスへの移住(ハインリヒ・シュッツ, 時期: 17世紀後半, 場所: ヴァイセンフェルス(現在のドイツ・ザクセン=アンハルト州))
鋳造職人としての修業(ヨハン・バルタザール・ノイマン, 時期: 17世紀末~18世紀初頭, 場所: エーガー)

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