東ドイツ最後の指導者として激動の壁崩壊に直面したクレンツ
エゴン・ルディ・エルンスト・クレンツ
旧東ドイツ(ドイツ民主共和国)の共産主義政治家。ドイツ社会主義統一党(SED)の幹部として党内で昇進し、自由ドイツ青年団(FDJ)の指導者などを務めた。1989年10月、エーリッヒ・ホーネッカーの後任としてSED書記長に就任し、同年10月から12月まで国家評議会議長を務めた。ベルリンの壁崩壊と東ドイツの体制転換が進む時期に指導者となったが、改革を主導する立場でありながら、旧体制の維持にも関わった。ベルリンの壁を越えようとした人々の死亡に関する責任を問われ、1997年に過失致死ではなく故意の殺人に相当する「故殺」の罪で禁錮6年6か月の判決を受け、服役後の2003年に釈放された。東ドイツの旧体制について、現在も独自の立場から発言や執筆を続けている。
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