南軍の勇将から政治家に転身し「新南部」の発展を主導した知事
ジョン・ブラウン・ゴードンは、軍事教育未経験から大尉として入隊し、中将まで昇進した南軍屈指の勇将です。アンティータムの戦いで5度の重傷を負いながら生還し、リー将軍の信頼を得てアポマトックスでの降伏式典では軍を代表して参列しました。戦後はジョージア州知事や上院議員を歴任。「新南部」運動の政治的リーダーとして鉄道網の建設や工業化を力強く推進し、戦後の南部の経済再建と産業化に大きく貢献しました。
ジョン・ブラウン・ゴードンは、軍事教育未経験から大尉として入隊し、中将まで昇進した南軍屈指の勇将です。アンティータムの戦いで5度の重傷を負いながら生還し、リー将軍の信頼を得てアポマトックスでの降伏式典では軍を代表して参列しました。戦後はジョージア州知事や上院議員を歴任。「新南部」運動の政治的リーダーとして鉄道網の建設や工業化を力強く推進し、戦後の南部の経済再建と産業化に大きく貢献しました。
ジョン・ベル・フッドは、南北戦争で南軍の中将・暫定大将を務めた勇猛な軍人です。旅団長・師団長としてゲティスバーグの戦いなどで先頭に立ち、片腕の不随や右足切断という重傷を負いながらも復帰しました。後にテネシー軍司令官に昇進しアトランタ攻略戦やフランクリンの戦いを指揮。激しい攻撃精神で知られましたが大きな損害も出しました。戦後はニューオーリンズで綿花仲買業や保険会社を設立し、実業家として再建を目指しました。
トーマス・ジョナサン・ジャクソン(石壁/ストーンウォール・ジャクソン)は、南北戦争で南軍中将として活躍した屈指の戦術家です。第一回ブルランの戦いでの不動の防衛から「石壁」の異名を得、シェナンドー渓谷戦役やチャンセラーズヴィルの戦いで迅速な強行軍と奇襲を展開し北軍を翻弄しました。リー将軍の右腕として連戦連勝を支えましたが、1863年に誤射が原因で戦死。その早すぎる死は南軍の命運を大きく左右しました。
ネイサン・ベッドフォード・フォレストは、南北戦争で私財を投じて騎兵部隊を組織し、軍事的教育を受けずに中将に上り詰めた独創的な将校です。機動力を活かした遊撃戦術や奇襲で北軍の補給線を乱し、「鞍上の悪魔」と恐れられました。一方でフォートピローの戦いでの虐殺や初期クー・クラックス・クラン(KKK)への関与など大きな不評も残しました。戦後は鉄道建設・経営に参入し、南部の復興とインフラ整備に関わりました。
ジェームズ・ロングストリートは、南北戦争で南軍の上級中将を務め、ロバート・E・リー将軍から「我が軍の老軍馬」と頼られた猛将です。第二次ブルランの戦いやフレデリックスバーグの戦いなどで巧みな防衛・反撃戦術を展開しました。戦後は友人のグラント大統領を支持して共和党へ加入し、駐オスマン帝国大使などの公職を歴任。旧南部の白人層から批判を受けつつも、南北の和解と公民権の保障、領域の再建に尽力しました。
ピエール・ギュスターヴ・トゥータン・ボーリガードは、南北戦争の発端となったサムター要塞砲撃を指揮した南軍の大将です。第一回ブルランの戦いやシャイローの戦い等で主要部隊を率い、工兵出身の優れた防衛戦術を発揮しました。戦後はルイジアナ州で鉄道会社の社長や法人の役員を歴任し、インフラ整備と地域の産業化に大きく貢献。南部復興期における実業家・土木技術者としても重要な足跡を残しました。
ブラクストン・ブラッグは、南北戦争における西部戦線で南軍ミシシッピ軍(後のテネシー軍)司令官を務めた大将です。米墨戦争の英雄として知られ、チカマウガの戦いなど歴史的大勝を収めました。一方で厳格すぎる性格と部下との内紛が絶えず、重要な戦機を逸することも多くありました。解任後はデイヴィス大統領の軍事顧問に就任。戦後はインフラ開発や鉄道技師として復興に尽力し、土木技術者として産業化を支えました。
ジュバル・アンダーソン・アーリーは、南北戦争で南軍中将として猛威を振るった軍人・法律家です。シェナンドー渓谷の戦いを主導し、1864年にはワシントンD.C.の目と鼻の先まで進撃して北軍を騒然とさせました。戦後は過激な未練派(「失われた事業」運動の主導者)として、南軍の神話化と歴史的再解釈に力を注ぎました。ロバート・E・リーの功績を称える一方、北軍の圧倒的物量に屈したとする歴史観を確立した中心人物です。
ジョセフ・エグルストン・ジョンストンは、南北戦争で南軍最高位級の大将として活躍した最高幹部の一人です。第一回ブルランの戦いで勝利に貢献し、のちにテネシー軍などを指揮しました。戴ヴィス大統領とは対立しがちでしたが、戦力を温存する巧みな防衛・後退戦術に長け、シャーマン将軍率いる北軍の侵攻を粘り強く防ぎました。戦後は連邦下院議員を務め、かつての宿敵シャーマンの葬儀に参列するなど南北和解の象徴となりました。
南北戦争において南部同盟の軍人たちは、物量で勝る北軍に対し優れた奇襲や局地戦術を展開して長年苦しめました。ロバート・E・リー司令官をはじめ、ストーンウォール・ジャクソンやジェイムズ・ロングストリートなどの名将たちが北ヴァージニア軍を中心に獅子奮迅の活躍を見せました。しかし、1865年に敗北。戦後はロングストリートらのように共和党へ参加し南北統合を主導した者や、教育分野を通じて南部の再建・発展に尽力した者など、復興期にも大きな影響を残しました。
米墨戦争(1846年〜1848年)は、「マニフェスト・デスティニー」のもと米国がメキシコと戦った領土拡大戦争です。勝利によりカルフォルニアやニューメキシコなど広大な領土を獲得し、太平洋に至る大陸国家へ飛躍しました。一方で、獲得した新領土への奴隷制拡大を巡り南北の対立が決定的に激化。ロバート・E・リーやグラントなど、後に南北戦争で死闘を繰り広げる将校たちが実戦経験を積んだ重要な歴史的転換点となりました。
ロバート・エドワード・リー・ジュニア(通称ロビン)は、ロバート・E・リー将軍の三男であり、軍人・農園主・著述家です。南北戦争では将軍の息子でありながら砲兵隊の一兵卒として入隊し、後に騎兵大尉に昇進して戦いました。戦後は農園経営に取り組み、1904年に出版した著書『父ロバート・E・リーの回想と手紙』を通じて、父の私生活や人柄を伝える貴重な記録を残し、後世における史実研究に大きく貢献しました。
ウィリアム・ヘンリー・フィッツヒュー・リー(通称ルーニー・リー)は、ロバート・E・リー将軍の次男であり、騎兵将校・政治家・プランターとして活動した人物です。南北戦争では南軍最年少の少将に昇進し、主要な騎兵戦で勇名を馳せました。戦後はプランテーション経営を通じて南部の農業再建に取り組み、ヴァージニア州上院議員や連邦下院議員を歴任。政治活動を通じて敗戦後の南部の振興と地域社会の再構築に貢献しました。
フィッツヒュー・リーは、ロバート・E・リー将軍の甥であり、南北戦争・再建期・米西戦争にわたり縦横の活躍を見せた軍人・政治家です。南北戦争では南軍の勇猛な騎兵将校(少将)として武名を馳せました。戦後は第40代ヴァージニア州知事に就任し、インフラ整備や産業振興を通じて州の復興を主導。さらに米西戦争時には合衆国陸軍の少将として復帰し、旧南軍将校でありながら連邦への忠誠と統合を体現した象徴的存在となりました。
ジョージ・ワシントン・カスティス・リーは、ロバート・E・リー将軍の長男であり、南北戦争および復興期に活躍した軍人・教育者です。陸軍士官学校(ウエストポイント)を首席で卒業後、南北戦争では南部同盟大統領ジェファーソン・デイヴィスの副官や少将を務めました。父の死後、ワシントン・アンド・リー大学の第2代総長を引き継ぎ、20年以上にわたって高等教育の拡充と敗戦後の南部の若者育成・地域復興に尽力しました。