清末の政権を半世紀にわたり掌握した絶対的権力者

清末の政権を半世紀にわたり掌握した絶対的権力者

西太后

清朝末期の政治を主導した皇太后。満洲族の葉赫那拉氏の出身で、咸豊帝の側室となり、1856年に後の同治帝を産んだ。1861年に咸豊帝が死去すると、慈安皇太后とともに幼い同治帝を補佐し、辛酉政変を通じて実権を握った。1875年には甥の光緒帝を即位させ、その後も長期にわたって清朝政治に強い影響を及ぼした。洋務運動などの近代化政策を支えた一方、1898年の戊戌の政変では光緒帝の改革を阻止した。1900年の義和団事件では反外国勢力を支持する政策をとったが、列強の軍事介入と北京議定書によって清朝は大きな譲歩を迫られた。晩年には新政と呼ばれる改革を進めたものの、王朝の危機を解消できないまま死去した。

年表

分類
要素
西暦 西太后
1835年
西太后の誕生 (時期: 1835年11月29日, 場所: 中国・北京)
1852年
咸豊帝の側室となる (年齢: 16歳, 時期: 1852年, 場所: 中国・北京、清朝宮廷)
結婚(西太后,咸豊帝, 年齢: 16歳, 時期: 1852年, 場所: 中国・北京、清朝の後宮)
1860年
洋務運動への関与 (年齢: 24歳, 時期: 1860年代~1890年代, 場所: 中国各地、北京、上海、天津、福州など)
1861年
同治帝の即位と共同摂政の開始 (年齢: 25歳, 時期: 1861年, 場所: 中国・北京)
1898年
戊戌の変法の挫折 (年齢: 62歳, 時期: 1898年, 場所: 中国・北京)
1900年
西安への避難と北京への帰還 (年齢: 64歳, 時期: 1900年~1902年, 場所: 中国・北京から陝西省西安市へ、のち北京へ帰還)
義和団事件における対列強宣戦 (年齢: 64歳, 時期: 1900年6月, 場所: 中国・北京を中心とする地域)
1901年
清末新政の推進 (年齢: 65歳, 時期: 1901年~1908年, 場所: 中国各地、北京を中心とする清朝統治地域)
北京議定書の締結 (年齢: 65歳, 時期: 1901年9月7日, 場所: 中国・北京)
1908年
光緒帝の死去をめぐる疑惑 (年齢: 72歳, 時期: 1908年11月14日, 場所: 中国・北京、中南海の瀛台)
西太后の没年 (年齢: 72歳, 時期: 1908年11月15日)
西太后の死去と清朝末期の権力継承(西太后, 年齢: 72歳, 時期: 1908年11月15日, 場所: 中国・北京、中南海)

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