王権主導で展開されたイングランド宗教改革の全貌
イングランド宗教改革
16世紀のイングランド宗教改革は、ヘンリー8世の婚姻問題を直接の契機としてローマ教皇庁からの離脱を図ったことに始まる。国王至上権の確立による修道院解散や国教会の創設を経て、エドワード6世期の本格的なプロテスタント化、メアリー1世期のカトリック復帰による混乱を経験した。最終的にエリザベス1世のもとで「礼拝統一法」などが整備され、独自のイングランド国教会(アングリカニズム)が形成された。
人物一覧
誕生
没年
出身
没年齢
| 1469年 | |
|---|---|
| 1478年 |
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| 1485年 |
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| 1489年 |
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| 1494年 |
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| 1517年 |
|
| 1522年 |
|
| 1554年 |
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年表
| 分類 |
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|---|---|
| 要素 |
|
| 西暦 | イングランド宗教改革 |
|---|---|
| 1455年 |
薔薇戦争
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| 1469年 |
ジョン・フィッシャーの誕生 (時期: 1469年10月19日頃, 場所: ビバリー(Beverley)、ヨークシャー)
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| 1478年 |
トマス・モアの誕生 (時期: 1478年2月7日, 場所: ロンドン(シティ・オブ・ロンドン))
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| 1482年 |
ケンブリッジ大学への入学(ジョン・フィッシャー)
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| 1485年 |
ヒュー・ラティマーの誕生 (時期: 1480年代後半頃(1485年頃~1487年頃とする説などがあるが、正確な生年月日は不明), 場所: サーストン(Thurcaston)、現在のレスター近郊)
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| 1487年 |
ケンブリッジ大学学士号取得(ジョン・フィッシャー)
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| 1489年 |
トマス・クランマーの誕生 (時期: 1489年7月2日, 場所: アスロックトン(Aslockton)、イングランド・ノッティンガムシャー)
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| 1491年 |
司祭への叙階
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| 1492年 |
オックスフォード大学での学習(トマス・モア)
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| 1494年 |
ウィリアム・ティンダルの誕生 (時期: 1494年頃, 場所: ダーズリー(Dursley)周辺、グロスターシャー)
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| 1496年 |
リンカーン法曹院での法律修学(トマス・モア)
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| 1497年 |
マーガレット・ボーフォートの聴罪司祭就任(ジョン・フィッシャー)
コーンウォール反乱
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| 1500年 |
聖ヨハネズ・カレッジ設立への貢献(ジョン・フィッシャー)
ケンブリッジ大学での学業(ヒュー・ラティマー)
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| 1501年 |
神学博士号取得とケンブリッジ大学副学長就任(ジョン・フィッシャー)
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| 1503年 |
ケンブリッジ大学での学問活動
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| 1504年 |
議会議員への初当選(トマス・モア)
ケンブリッジ大学総長としての活動(ジョン・フィッシャー)
ロチェスター司教就任(ジョン・フィッシャー)
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| 1505年 |
結婚(トマス・モア,ジョアンナ・「ジェーン」・コルト)
ケンブリッジ大学クイーンズ・カレッジ学長(ジョン・フィッシャー)
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| 1510年 |
ロンドン市の下級保安官就任(トマス・モア)
エラスムスのケンブリッジ滞在を支援
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| 1511年 |
結婚(トマス・モア,アリス・ミドルトン)
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| 1512年 |
『リチャード三世史』の執筆(トマス・モア)
第5ラテラン公会議への代表候補(ジョン・フィッシャー)
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| 1513年 |
司祭への叙階(フィリッポ・ブルーノ)
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| 1514年 |
ヘンリー8世の外交・宮廷活動への参加(トマス・モア)
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| 1515年 |
結婚(トマス・クランマー,ジョーン)
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| 1516年 |
『ユートピア』の出版
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| 1517年 |
ジョン・フォックスの誕生 (時期: 1516年または1517年頃(正確な月日不明), 場所: ボストン(Boston)、リンカンシャー)
ケンブリッジ大学での研究(ウィリアム・ティンダル)
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| 1520年 |
イングランド宗教改革をめぐる宗教的対立
ティンダルとトマス・モアの論争
宗教改革への反論活動(トマス・モア)
トマス・ビルニーとの出会いと宗教改革への転向(ヒュー・ラティマー)
枢機卿ウルジーによる審問
ブリストル説教論争
宗教改革派への転向(ヒュー・ラティマー)
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| 1521年 |
ジョン・ウォルシュ家での聖職・家庭教師活動(ウィリアム・ティンダル)
ルター派への反論
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| 1522年 |
大学説教師・大学付き聖職者への任命(ヒュー・ラティマー)
ジョン・ジュエルの誕生 (時期: 1522年5月24日, 場所: ベリーナーバー(Berrynarbor)、デボン州)
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| 1523年 |
英語聖書翻訳計画
ロンドンでの聖書翻訳活動(ウィリアム・ティンダル)
庶民院議長就任(トマス・モア)
『ルターの主張への反駁』出版
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| 1524年 |
大陸ヨーロッパへの亡命(ウィリアム・ティンダル)
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| 1525年 |
ティンダル新約聖書の刊行
1525年スティールヤードのハンザ商人への捜索
ランカスター公領大臣就任(トマス・モア)
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| 1526年 |
セント・ポール大聖堂前でのルター批判説教(ジョン・フィッシャー)
英語新約聖書の焚書
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| 1527年 |
ヘンリー8世の婚姻無効問題
ヘンリー8世への外交・宗教問題への協力
キャサリン・オブ・アラゴンの婚姻擁護
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| 1528年 |
『キリスト者の服従』の出版
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| 1529年 |
トマス・モアとウィリアム・ティンダルの論争
国王の教会支配への抵抗
キャサリン・オブ・アラゴンの弁護(ジョン・フィッシャー)
ヘンリー8世による教会統制への反対
大法官就任(トマス・モア)
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| 1530年 |
英語による礼拝改革
ヘンリー8世の婚姻無効への反対
五書の英訳
改革派説教者としての活動(ヒュー・ラティマー)
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| 1531年 |
フィッシャー暗殺未遂とされる毒殺事件
神聖ローマ皇帝への働きかけ
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| 1532年 |
カンタベリー大主教への任命
大法官辞任(トマス・モア)
結婚(トマス・クランマー,マルガレーテ・クランマー)
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| 1533年 |
カンタベリー大主教就任(トマス・クランマー)
聖女エリザベス・バートン事件
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| 1534年 |
オックスフォード大学での学業(ウィリアム・ティンダル)
新約聖書改訂版の出版(ウィリアム・ティンダル)
トマス・モアの投獄
トマス・モアとともにロンドン塔へ収監
ヘンリー8世の王室付き聖職者(ヒュー・ラティマー)
国王至上権の宣誓拒否(トマス・モア)
国王至上権への宣誓拒否(トマス・モア)
ロンドン塔への収監(ジョン・フィッシャー)
|
| 1535年 |
ティンダルの逮捕
殉教と列聖(ジョン・フィッシャー)
ウスター司教就任(ヒュー・ラティマー)
枢機卿への任命(ジョン・フィッシャー)
フィッシャー裁判
ジョン・フィッシャーの没年
ジョン・フィッシャーの処刑
トマス・モア裁判
オックスフォード大学入学(ジョン・ジュエル)
トマス・モアの没年
トマス・モアの処刑
|
| 1536年 |
ヴィルヴォールデ裁判と処刑
ティンダル聖書の後世への影響
ウィリアム・ティンダルの没年
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| 1538年 |
ジョン・フォレストの処刑前説教(ヒュー・ラティマー)
ウィリアム・カウブリッジの火刑(ジョン・フォックス)
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| 1539年 |
六箇条法
六箇条法への反対
ウスター司教職辞任と拘禁(ヒュー・ラティマー)
ウスター司教辞任(ヒュー・ラティマー)
コーパス・クリスティ・カレッジ奨学生選出(ジョン・ジュエル)
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| 1540年 |
プロテスタントへの転向(ジョン・フォックス)
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| 1545年 |
オックスフォード大学からの辞任(ジョン・フォックス)
トマス・ルーシー家での家庭教師(ジョン・フォックス)
文学修士号取得(ジョン・ジュエル)
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| 1546年 |
ロンドン塔への再収監(ヒュー・ラティマー)
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| 1547年 |
エドワード6世即位後の釈放(ヒュー・ラティマー)
エドワード6世時代の説教活動(ヒュー・ラティマー)
エドワード6世時代の宗教改革と処刑反対活動(ジョン・フォックス)
ロンドンでの宗教改革活動(ジョン・フォックス)
ピーター・マーティル・ヴェルミーリの弟子となる(ジョン・ジュエル)
結婚(ジョン・フォックス,アグネス・ランドール)
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| 1548年 |
『1549年祈祷書(Book of Common Prayer)』の作成
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| 1549年 |
祈祷書反乱
『1552年祈祷書(Book of Common Prayer)』の改訂
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| 1551年 |
四十二箇条(Forty-two Articles)の形成
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| 1552年 |
『Actes and Monuments』の執筆開始(ジョン・フォックス)
神学博士号取得(ジョン・ジュエル)
サニングウェル教区牧師就任(ジョン・ジュエル)
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| 1553年 |
エドワード6世死後の王位継承問題
トマス・クランマー裁判
メアリー1世即位後の逮捕(ヒュー・ラティマー)
メアリー1世即位後の収監(ヒュー・ラティマー)
メアリー1世即位と亡命(ジョン・フォックス)
メアリー1世即位とオックスフォードからの追放(ジョン・ジュエル)
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| 1554年 |
フランクフルトの宗教論争
メアリー1世治下の宗教迫害への対応(ジョン・フォックス)
ストラスブールでのラテン語版草稿刊行(ジョン・フォックス)
カトリック信条への署名(ジョン・ジュエル)
エクセター・グラマースクールでの教育(リチャード・フッカー, 時期: 1554年頃~1569年, 場所: エクセター、デヴォン州)
リチャード・フッカーの誕生 (時期: 1554年3月25日, 場所: エクセター(Exeter)、デヴォン州。現在のエクセター市内にあるヒーヴィトリー(Heavitree))
オックスフォード論争
クランマー・リドリーらの宗教討論への関与(ジョン・ジュエル)
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| 1555年 |
宗教改革思想の集大成と殉教
フランクフルト亡命者の宗教論争(ジョン・ジュエル)
大陸への宗教亡命(ジョン・ジュエル)
大陸亡命中の神学研究(ジョン・ジュエル)
異端審問と有罪判決(ヒュー・ラティマー)
ヒュー・ラティマーの没年
ヒュー・ラティマーの火刑
オックスフォード殉教者としての死(ヒュー・ラティマー)
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| 1556年 |
トマス・クランマーの没年
トマス・クランマー火刑
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| 1558年 |
帰国とエリザベス1世治下での活動開始(ジョン・フォックス)
エリザベス1世即位後の帰国(ジョン・ジュエル)
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| 1559年 |
イングランド帰国(ジョン・フォックス)
ウェストミンスター宗教討論(ジョン・ジュエル)
ソールズベリー司教就任(ジョン・ジュエル)
バーゼルでのラテン語版出版(ジョン・フォックス)
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| 1562年 |
『イングランド国教会の弁明』をめぐる論争
『イングランド国教会の弁明』出版
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| 1563年 |
『Actes and Monuments』初版刊行
ソールズベリー大聖堂の聖職禄授与(ジョン・フォックス)
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| 1565年 |
オックスフォード大学でのエリザベス1世訪問時の宗教討論(ジョン・ジュエル)
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| 1569年 |
北部反乱
オックスフォード大学コーパス・クリスティ・カレッジ入学(リチャード・フッカー)
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| 1570年 |
『Actes and Monuments』第二版刊行
教皇ピウス5世によるエリザベス1世破門
『扇動的な教皇勅書への見解』執筆
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| 1571年 |
カンタベリー召集による『Actes and Monuments』の設置
1571年議会への出席(ジョン・ジュエル)
三十九箇条改訂版の監督(ジョン・ジュエル)
ジョン・ジュエルの没年
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| 1572年 |
フランドルの再洗礼派への処刑反対(ジョン・フォックス)
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| 1579年 |
聖職者への叙任(リチャード・フッカー)
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| 1580年 |
コーパス・クリスティ・カレッジ学長選挙をめぐる対立(リチャード・フッカー)
「教会統治の法について」の執筆開始(リチャード・フッカー)
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| 1581年 |
セント・ポールズ・クロス説教をめぐる宗教論争
セント・ポールズ・クロスでの説教(リチャード・フッカー)
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| 1583年 |
『Actes and Monuments』第四版刊行
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| 1584年 |
ドレイトン・ビーチャム教区牧師就任(リチャード・フッカー)
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| 1585年 |
テンプル教会におけるウォルター・トラヴァースとの論争
テンプル教会マスター就任(リチャード・フッカー)
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| 1587年 |
カディス遠征
ジョン・フォックスの没年
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| 1588年 |
結婚(リチャード・フッカー,ジャン・チャーチマン)
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| 1591年 |
セント・アンドルーズ教会の聖職禄取得(リチャード・フッカー)
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| 1593年 |
「教会統治の法について」第1~4巻刊行
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| 1595年 |
ビショップスボーン教区牧師就任(リチャード・フッカー)
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| 1597年 |
「教会統治の法について」第5巻刊行
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| 1600年 |
リチャード・フッカーの没年
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| 1935年 |
死後の列聖
|
| 不明 |
結婚(ウィリアム・ティンダル,なし, 時期: 該当なし, 場所: 該当なし)
結婚(ジョン・フィッシャー,なし, 時期: 該当なし, 場所: 該当なし)
結婚(ヒュー・ラティマー,なし, 時期: 該当なし, 場所: 該当なし)
結婚(ジョン・ジュエル,なし, 時期: 該当なし, 場所: 該当なし)
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