ブリアンの柔軟な外交と戦時内閣指揮
アリスティード・ブリアン
フランス第三共和政を代表する政治家・弁護士・ジャーナリスト。若い頃は社会主義・労働運動に参加し、ジャン・ジョレスらとともに『ユマニテ』の創刊にも関わった。1905年の政教分離法の成立では報告者として中心的役割を果たし、その後は社会主義から穏健な共和派へと政治的立場を移した。1909年以降、11回にわたって首相を務め、第一次世界大戦中には首相兼外相としてバルカン政策などを推進した。戦後は国際協調とフランス・ドイツの和解を重視し、1925年のロカルノ条約、1928年の不戦条約(ブリアン=ケロッグ条約)などに尽力した。1926年にはグスタフ・シュトレーゼマンとともにノーベル平和賞を受賞した。
年表
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