移動式X線車で負傷兵の命を救ったノーベル賞学者

移動式X線車で負傷兵の命を救ったノーベル賞学者

マリ・キュリー

ポーランド出身でフランスを中心に活動した物理学者・化学者。夫ピエール・キュリーとともに放射能の研究を進め、ポロニウムとラジウムを発見した。1903年にピエール・キュリー、アンリ・ベクレルとともにノーベル物理学賞を受賞し、1911年にはノーベル化学賞を単独受賞した。女性として初めてノーベル賞を受賞し、異なる2分野でノーベル賞を受賞した最初の人物でもある。第一次世界大戦では移動式X線装置「プチ・キュリー」を開発して前線の負傷兵の診断に貢献し、戦後も放射線医学・放射線研究の発展と若手研究者の育成に尽力した。

年表

分類
要素
西暦 マリ・キュリー
1867年
マリ・キュリーの誕生 (時期: 1867年11月7日, 場所: ワルシャワ(ポーランド))
1880年
フライング大学での学習 (年齢: 12歳, 時期: 1880年代, 場所: ワルシャワ、ポーランド)
1891年
パリ大学での物理学・数学研究 (年齢: 23歳, 時期: 1891年~1894年, 場所: パリ、フランス)
1894年
ピエール・キュリーとの共同研究開始 (年齢: 26歳, 時期: 1894年~1895年, 場所: パリ、フランス)
1895年
ピエール・キュリーとの結婚 (年齢: 27歳, 時期: 1895年7月26日, 場所: ソー(フランス))
結婚(マリ・キュリー,ピエール・キュリー, 年齢: 27歳, 時期: 1895年7月26日, 場所: ソー(フランス)の市庁舎)
1896年
放射能研究の開始 (年齢: 28歳, 時期: 1896年~1897年, 場所: パリ、フランス)
1898年
ポロニウムの発見 (年齢: 30歳, 時期: 1898年7月, 場所: パリ、フランス)
ラジウムの発見 (年齢: 31歳, 時期: 1898年12月, 場所: パリ、フランス)
1903年
ノーベル物理学賞受賞(マリ・キュリー, 年齢: 35歳, 時期: 1903年, 場所: ストックホルム、スウェーデン)
1906年
ピエール・キュリーの事故死 (年齢: 38歳, 時期: 1906年4月19日, 場所: パリ、ドフィーヌ通り)
パリ大学初の女性教授就任(マリ・キュリー, 年齢: 38歳, 時期: 1906年5月13日, 場所: パリ、フランス)
1909年
ラジウム研究所の設立・運営 (年齢: 41歳, 時期: 1909年~1914年, 場所: パリ、フランス)
1911年
フランス科学アカデミー会員選挙落選(マリ・キュリー, 年齢: 43歳, 時期: 1911年1月, 場所: パリ、フランス科学アカデミー)
ランジュバン事件 (年齢: 43歳, 時期: 1911年, 場所: パリ、フランス)
ノーベル化学賞受賞(マリ・キュリー, 年齢: 43歳, 時期: 1911年, 場所: ストックホルム、スウェーデン)
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 46歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: ヨーロッパを中心とする各戦線)
第一次世界大戦中の放射線医療活動 (年齢: 46歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: フランスおよび西部戦線の野戦病院)
プチ・キュリーの開発 (年齢: 46歳, 時期: 1914年~1915年, 場所: フランスおよび西部戦線)
1915年
戦時放射線医学の普及 (年齢: 47歳, 時期: 1915年~1918年, 場所: フランスおよび西部戦線)
1920年
第一次世界大戦後の放射線被曝による健康悪化 (年齢: 52歳, 時期: 1920年代~1934年, 場所: フランス)
キュリー研究所の発展 (年齢: 52歳, 時期: 1920年代, 場所: パリ、フランス)
1922年
国際連盟知的協力国際委員会への参加 (年齢: 54歳, 時期: 1922年~1934年, 場所: ジュネーヴ、スイスなど)
1929年
ワルシャワ・ラジウム研究所への支援 (年齢: 61歳, 時期: 1929年~1932年, 場所: ワルシャワ、ポーランド)
1934年
マリ・キュリーの没年 (年齢: 66歳, 時期: 1934年7月4日(フランス・オート=サヴォワ県パッシー、サンセルモーズ療養所))

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要素
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