カウナスで命のビザを渡した日本の外交官

カウナスで命のビザを渡した日本の外交官

杉原千畝

日本の外交官。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス日本領事館で、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人難民らに日本通過ビザを発給し、多数の人々の脱出を助けた。日本政府の指示と異なる形でビザを発給する決断をし、1940年7月から8月にかけて大量のビザを手書きで発行した。発給されたビザは2,000件以上とされ、家族を含め約6,000人の生命を救ったと評価されている。戦後は外交官としての職を離れたが、1984年にヤド・ヴァシェムから「諸国民の中の正義の人」に認定され、2000年には日本政府によって名誉が正式に回復された。

年表

分類
要素
西暦 杉原千畝
1900年
杉原千畝の誕生 (時期: 1900年1月1日, 場所: 美濃市(岐阜県))
1918年
早稲田大学への入学(杉原千畝, 年齢: 18歳, 時期: 1918年, 場所: 東京・早稲田)
結婚(杉原千畝,クラウディア・セミョーノヴナ・アポロノワ, 年齢: 18歳, 時期: 1918年頃~1920年代, 場所: 中国・ハルビン)
1919年
外務省留学生としてハルビン留学(杉原千畝, 年齢: 19歳, 時期: 1919年~1924年, 場所: 中国・ハルビン)
1924年
在ハルビン日本総領事館勤務 (年齢: 24歳, 時期: 1924年~1932年, 場所: 中国・ハルビン)
1931年
満州事変と満州国成立 (年齢: 31歳, 時期: 1931年~1932年, 場所: 満州(現在の中国東北部))
1932年
満州国外交部での対ソ外交 (年齢: 32歳, 時期: 1932年~1935年, 場所: 中国東北部・満州)
1933年
北満州鉄道(東清鉄道)譲渡交渉 (年齢: 33歳, 時期: 1933年~1935年, 場所: 満州・ハルビンおよびソ連)
1936年
ソ連によるモスクワ赴任拒否 (年齢: 36歳, 時期: 1936年~1937年, 場所: ソ連・モスクワ)
結婚(杉原千畝,菊池幸子, 年齢: 36歳, 時期: 1936年4月7日, 場所: 日本)
1937年
ヘルシンキ日本公使館への赴任 (年齢: 37歳, 時期: 1937年~1939年, 場所: フィンランド・ヘルシンキ)
1939年
第二次世界大戦 (年齢: 39歳, 時期: 1939年~1945年, 場所: フランス、特にドイツ占領下のパリ)
ドイツ軍のポーランド侵攻とユダヤ人難民の流出 (年齢: 39歳, 時期: 1939年9月~1940年, 場所: ポーランド、リトアニアなど)
カウナス日本領事館への赴任 (年齢: 39歳, 時期: 1939年11月~1940年9月, 場所: リトアニア・カウナス)
1940年
プラハ・ケーニヒスベルク・ブカレストでの外交活動 (年齢: 40歳, 時期: 1940年~1945年, 場所: チェコスロバキア・プラハ、ドイツ・ケーニヒスベルク、ルーマニア・ブカレスト)
カウナスの「命のビザ」発給 (年齢: 40歳, 時期: 1940年7月18日~8月28日頃, 場所: リトアニア・カウナス)
カウナス領事館閉鎖とビザ発給の継続 (年齢: 40歳, 時期: 1940年8月~9月, 場所: リトアニア・カウナス)
1944年
ソ連によるルーマニアでの外交官拘束 (年齢: 44歳, 時期: 1944年~1947年, 場所: ルーマニア・ブカレストおよびソ連の収容施設)
1947年
外務省退職と外交官としてのキャリア終了(杉原千畝, 年齢: 47歳, 時期: 1947年, 場所: 日本・東京など)
帰国と外務省退職(杉原千畝, 年齢: 47歳, 時期: 1947年, 場所: 日本)
1969年
イスラエル政府による顕彰 (年齢: 69歳, 時期: 1969年, 場所: イスラエル)
1986年
杉原千畝の没年 (年齢: 86歳, 時期: 1986年7月31日)
2000年
日本政府による名誉回復 (年齢: 没後14年, 時期: 2000年10月10日, 場所: 東京都・外務省外交史料館)

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