宥和政策の推進から対米戦時外交の要へ
エドワード・ウッド
イギリスの保守党政治家・外交官。1926年から1931年までインド総督を務め、1938年から1940年まで外務大臣を務めた。1925年にアーウィン男爵、1934年にハリファックス子爵、1944年にハリファックス伯爵となったため、時期によってロード・アーウィン、ハリファックス子爵、ハリファックス卿などの名で知られる。インド総督時代にはマハトマ・ガンディーとの交渉によってガンディー=アーウィン協定を成立させた。1930年代にはネヴィル・チェンバレンとともにドイツへの宥和政策を推進し、ヒトラーとの交渉にも関与した。一方、1939年にドイツがチェコスロバキアを解体すると対ドイツ政策を転換し、ポーランドへの安全保障上の保証を支持した。1940年にはチェンバレンの後継首相候補となったが、ウィンストン・チャーチルが戦時指導者としてより適任と考えて首相就任を辞退した。その後は1940年から1946年まで駐米イギリス大使を務め、アメリカとの協力関係の強化に貢献した。
年表
| 分類 | |
|---|---|
| 要素 |
地図
| グループ | |
|---|---|
| 要素 |
ヨーロッパ
世界
コメント