ネーデルラントを治めたハプスブルク家の知性

ネーデルラントを治めたハプスブルク家の知性

マリア・フォン・ハプスブルク

神聖ローマ皇帝カール5世とポルトガル王女イサベルの娘。マクシミリアン2世と結婚し、1564年から1576年まで神聖ローマ皇后・ボヘミア王妃・ハンガリー王妃を務めた。1548年から1551年には夫マクシミリアンとともにスペインの摂政を務め、1558年から1561年には兄フェリペ2世の不在時にもスペインの摂政を務めた。熱心なカトリック信徒で、宗教的に寛容な政策をとった夫とは宗教問題で意見が異なることもあった。夫の死後は息子ルドルフ2世やマティアスに影響を与え、1582年にスペインへ戻った後はマドリードのラス・デスカルサス・レアレス修道院で暮らした。音楽家トマス・ルイス・デ・ビクトリアの後援者としても知られる。

年表

分類
要素
西暦 マリア・フォン・ハプスブルク
1528年
マリア・フォン・ハプスブルクの誕生 (時期: 1528年6月21日, 場所: マドリード(スペイン))
1529年
オスマン・ハプスブルク戦争 (時期: 1529年~1530年頃, 場所: レーゲンスブルク(ドイツ)とその周辺)
1546年
シュマルカルデン戦争 (年齢: 17歳, 時期: 1546年~1547年, 場所: 神聖ローマ帝国、特にザクセンなどドイツ中部)
1548年
スペイン摂政就任(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 19歳, 時期: 1548年~1551年, 場所: スペイン、バリャドリードなど)
スペイン王室における統治経験 (年齢: 19歳, 時期: 1548年~1551年, 場所: スペイン)
結婚(マリア・フォン・ハプスブルク,マクシミリアン2世, 年齢: 20歳, 時期: 1548年9月13日(資料によって9月15日とする記載もある), 場所: バリャドリード(スペイン))
1551年
フランス・ハプスブルク戦争 (年齢: 22歳, 時期: 1551年~1559年, 場所: イタリア、フランス、ネーデルラントなど)
1563年
ハンガリー王妃戴冠(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 35歳, 時期: 1563年9月9日, 場所: ポジョニ(現在のブラチスラヴァ、スロバキア))
1564年
神聖ローマ皇后としての活動 (年齢: 35歳, 時期: 1564年~1576年, 場所: ウィーン、プラハなど)
神聖ローマ皇后就任(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 36歳, 時期: 1564年7月25日, 場所: ウィーン(オーストリア))
1576年
マクシミリアン2世の死去 (年齢: 48歳, 時期: 1576年10月12日, 場所: レーゲンスブルク(ドイツ))
1580年
ラス・デスカルサス・レアレス修道院への定住(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 51歳, 時期: 1580年代~1603年, 場所: マドリード(スペイン))
トマス・ルイス・デ・ビクトリアの後援 (年齢: 51歳, 時期: 1580年代~1603年, 場所: マドリード(スペイン))
1582年
スペインへの帰還 (年齢: 53歳, 時期: 1582年, 場所: ウィーンからマドリード(スペイン))
1593年
長期トルコ戦争 (年齢: 64歳, 時期: 1593年~1606年, 場所: ハンガリー、クロアチア、トランシルヴァニア、ワラキアなど)
1603年
マリア・フォン・ハプスブルクの没年 (年齢: 74歳, 時期: 1603年2月26日)
ラス・デスカルサス・レアレスでの死去(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 74歳, 時期: 1603年2月26日, 場所: ラス・デスカルサス・レアレス修道院、マドリード(スペイン))

地図

グループ
要素
ヨーロッパ 世界
europe map

関連リンク

他言語

コメント