スペイン宮廷と帝国を結ぶ悲劇の皇后

スペイン宮廷と帝国を結ぶ悲劇の皇后

マリア・フォン・シュパーニエン

神聖ローマ皇帝カール5世とポルトガル王女イサベル・デ・ポルトゥガルの長女。スペイン王女として生まれ、1548年に従兄のマクシミリアン大公と結婚した。夫がマクシミリアン2世として神聖ローマ皇帝となった1564年から1576年まで神聖ローマ皇后、ボヘミア王妃、ハンガリー王妃を務めた。また1548年から1551年、さらに1558年から1561年にはスペイン摂政として統治に携わった。熱心なカトリック信者であり、宗教問題では比較的寛容な姿勢を取った夫と意見が異なることもあった。夫の死後はスペインへ戻り、マドリードのラス・デスカルサス・レアレス修道院を生活の拠点とした。16人の子をもうけ、ルドルフ2世、マティアスなど後の神聖ローマ皇帝を含むハプスブルク家の重要人物を育てた。

年表

分類
要素
西暦 マリア・フォン・シュパーニエン
1521年
イタリア戦争 (年齢: 誕生7年前, 時期: 1521年~1526年頃, 場所: イタリア、フランス、ネーデルラントなど)
1528年
マリア・フォン・シュパーニエンの誕生 (時期: 1528年6月21日, 場所: マドリード(スペイン))
1529年
オスマン・ハプスブルク戦争 (時期: 1529年~1530年頃, 場所: レーゲンスブルク(ドイツ)とその周辺)
1546年
シュマルカルデン戦争 (年齢: 17歳, 時期: 1546年~1547年, 場所: 神聖ローマ帝国、特にザクセンなどドイツ中部)
1548年
スペイン摂政就任(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 19歳, 時期: 1548年~1551年, 場所: スペイン、バリャドリード・マドリードなど)
スペイン統治への参加(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 19歳, 時期: 1548年~1551年, 場所: スペイン)
結婚(マリア・フォン・シュパーニエン,マクシミリアン2世, 年齢: 20歳, 時期: 1548年9月13日, 場所: バリャドリード(スペイン))
1552年
ウィーン宮廷への移動(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 23歳, 時期: 1552年, 場所: ウィーン(オーストリア))
1558年
スペイン再摂政(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 29歳, 時期: 1558年~1561年, 場所: マドリード(スペイン))
1563年
ハンガリー王妃戴冠(マリア・フォン・ハプスブルク, 年齢: 35歳, 時期: 1563年9月9日, 場所: ポジョニ(現在のブラチスラヴァ、スロバキア))
1564年
神聖ローマ皇后としての活動 (年齢: 35歳, 時期: 1564年~1576年, 場所: ウィーン、プラハなど)
神聖ローマ皇后就任(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 36歳, 時期: 1564年7月25日, 場所: ウィーン(オーストリア))
1576年
息子たちの王朝形成への関与(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 47歳, 時期: 1576年~1603年, 場所: 神聖ローマ帝国、スペイン)
マクシミリアン2世の死去 (年齢: 48歳, 時期: 1576年10月12日, 場所: レーゲンスブルク(ドイツ))
1580年
トマス・ルイス・デ・ビクトリアの後援 (年齢: 51歳, 時期: 1580年代~1603年, 場所: マドリード(スペイン))
1582年
スペインへの帰還 (年齢: 53歳, 時期: 1582年, 場所: ウィーンからマドリード(スペイン))
ラス・デスカルサス・レアレス修道院での晩年(マリア・フォン・シュパーニエン, 年齢: 53歳, 時期: 1582年~1603年, 場所: マドリード(スペイン))
1593年
長期トルコ戦争 (年齢: 64歳, 時期: 1593年~1606年, 場所: ハンガリー、クロアチア、トランシルヴァニア、ワラキアなど)
1603年
マリア・フォン・シュパーニエンの没年 (年齢: 74歳, 時期: 1603年2月26日)

地図

グループ
要素
ヨーロッパ 世界
europe map

関連リンク

他言語

コメント