実地解剖により近代人体解剖学の基礎を確立

実地解剖により近代人体解剖学の基礎を確立

アンドリース・ファン・ウェーゼル

16世紀ルネサンス期のフランドル出身の解剖学者・医師。パドヴァ大学で人体解剖を重視した医学教育を行い、古代ローマの医学者ガレノスの著作に依存していた従来の解剖学を、実際の人体観察によって検証・修正した。1543年に主著「人体の構造について(De humani corporis fabrica libri septem)」を刊行し、詳細な解剖図と人体の直接観察に基づく記述によって近代人体解剖学の発展に大きな影響を与えた。その後、神聖ローマ皇帝カール5世とスペイン王フェリペ2世の侍医を務めた。

年表

分類
要素
西暦 アンドリース・ファン・ウェーゼル
1514年
アンドリース・ファン・ウェーゼルの誕生 (時期: 1514年12月31日, 場所: ブリュッセル(Brussels)、現在のベルギー)
1520年
ルーヴェンでの教育(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 5歳, 時期: 1520年代~1533年頃, 場所: ルーヴェン(Leuven)、現在のベルギー)
1530年
ガレノス解剖学との対立 (年齢: 15歳, 時期: 1530年代~1540年代, 場所: パドヴァ、イタリア)
1533年
パリ大学での医学研究(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 18歳, 時期: 1533年~1536年頃, 場所: パリ、フランス王国)
1536年
ルーヴェンでの解剖学研究(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 21歳, 時期: 1536年頃, 場所: ルーヴェン、現在のベルギー)
1537年
パドヴァ大学で医学博士号取得(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 22歳, 時期: 1537年, 場所: パドヴァ、イタリア)
パドヴァ大学での解剖学教授就任(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 22歳, 時期: 1537年~1542年, 場所: パドヴァ、イタリア)
1538年
「6枚の解剖図」刊行 (年齢: 23歳, 時期: 1538年, 場所: ヴェネツィア、イタリア)
1540年
軍医としての活動(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 25歳, 時期: 1540年代, 場所: フランスなど)
1543年
ハプスブルク・ヴァロワ戦争 (年齢: 28歳, 時期: 1543年頃, 場所: フランス・スペイン国境周辺など)
ヴェサリウスの解剖学的方法への批判 (年齢: 28歳, 時期: 1543年~1555年頃, 場所: 神聖ローマ帝国・スペインなど)
「人体の構造について」刊行 (年齢: 28歳, 時期: 1543年, 場所: バーゼル、スイス)
皇帝カール5世の侍医就任(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 28歳, 時期: 1543年, 場所: 神聖ローマ帝国の宮廷)
1546年
「中国根論」刊行 (年齢: 31歳, 時期: 1546年, 場所: バーゼルなど)
結婚(アンドリース・ファン・ウェーゼル,アンヌ・ファン・ハンメ, 年齢: 31歳, 時期: 1540年代、1546年頃とする資料がある, 場所: ベルギー周辺とされるが、具体的な場所は不詳)
1551年
サラマンカでの調査 (年齢: 36歳, 時期: 1551年, 場所: サラマンカ、スペイン)
1555年
「人体の構造について」改訂版刊行 (年齢: 40歳, 時期: 1555年, 場所: バーゼル、スイス)
フェリペ2世の侍医就任(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 40歳, 時期: 1555年~1559年以降, 場所: スペイン王宮)
1560年
生体解剖をめぐる伝説 (年齢: 45歳, 時期: 1560年代, 場所: スペイン)
1564年
エルサレム巡礼(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 49歳, 時期: 1564年, 場所: ヴェネツィア、キプロス、エルサレム)
パドヴァ大学への復帰要請(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 49歳, 時期: 1564年, 場所: エルサレム)
ザキントス島沖での遭難(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 49歳, 時期: 1564年10月, 場所: ザキントス島(Zante)、現在のギリシャ)
アンドリース・ファン・ウェーゼルの没年 (年齢: 49歳, 時期: 1564年10月15日(49歳))
ザキントス島で死去(アンドリース・ファン・ウェーゼル, 年齢: 49歳, 時期: 1564年10月15日, 場所: ザキントス島(Zante)、現在のギリシャ)

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