マリア・テレジア:国政改革と君主の氣概

マリア・テレジア:国政改革と君主の氣概

マリア・テレジア

神聖ローマ皇帝カール6世とエリーザベト・クリスティーネ・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテルの長女。1740年に父が死去するとハプスブルク君主国の領土を継承し、オーストリア大公、ハンガリー女王、ボヘミア女王などとして40年間統治した。女性としてハプスブルク君主国を自らの権利で統治した唯一の君主であり、夫フランツ1世が神聖ローマ皇帝となった後も実権を保持した。オーストリア継承戦争ではプロイセンなどの攻撃に直面しながらハプスブルク領の大部分を維持したが、シュレージエンを失った。七年戦争ではシュレージエンの奪回を試みたものの成功しなかった。一方、軍制、財政、行政、教育、司法などの改革を進め、ハプスブルク君主国の中央集権化と国家機構の強化に大きく貢献した。フランツ1世との間に16人の子供をもうけ、ヨーゼフ2世、レオポルト2世、マリー・アントワネットなどを育てた。

年表

分類
要素
西暦 マリア・テレジア
1717年
マリア・テレジアの誕生 (時期: 1717年5月13日, 場所: ウィーン(現在のオーストリア))
1733年
ポーランド継承戦争 (年齢: 15歳, 時期: 1733年~1738年, 場所: ポーランド、ライン地方、イタリア、ラインラントなど)
1736年
フランツ・シュテファンとの結婚 (年齢: 18歳, 時期: 1736年2月12日, 場所: ウィーンのアウグスティーナー教会)
結婚(マリア・テレジア,フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン, 年齢: 18歳, 時期: 1736年2月12日, 場所: ウィーンのアウグスティーナー教会)
1740年
オーストリア継承戦争 (年齢: 22歳, 時期: 1740年~1748年, 場所: 中央ヨーロッパ、ボヘミア、バイエルン、イタリア、ネーデルラントなど)
軍事・行政改革(マリア・テレジア, 年齢: 22歳, 時期: 1740年代~1760年代, 場所: ウィーン、ハプスブルク君主国各地)
ハプスブルク君主国の継承(マリア・テレジア, 年齢: 23歳, 時期: 1740年10月20日, 場所: ウィーン、ハプスブルク君主国)
1741年
ハンガリー女王戴冠(マリア・テレジア, 年齢: 24歳, 時期: 1741年6月25日, 場所: ポジョニ(現在のブラチスラヴァ))
ハンガリー議会での支持獲得 (年齢: 24歳, 時期: 1741年9月11日, 場所: ポジョニ(現在のブラチスラヴァ))
1745年
神聖ローマ皇后としての地位(マリア・テレジア, 年齢: 28歳, 時期: 1745年9月13日, 場所: フランクフルト)
1756年
七年戦争 (年齢: 38歳, 時期: 1756年~1763年, 場所: 中央ヨーロッパ、ドイツ、ボヘミア、フランス、イギリス植民地など)
外交革命 (年齢: 38歳, 時期: 1756年, 場所: ウィーン、ヴェルサイユ、ロンドンなどヨーロッパ各国)
1765年
ヨーゼフ2世との共同統治 (年齢: 47歳, 時期: 1765年~1780年, 場所: ウィーン、ハプスブルク君主国)
1770年
教育改革(マリア・テレジア, 年齢: 52歳, 時期: 1770年代まで, 場所: ハプスブルク君主国)
1772年
第一回ポーランド分割 (年齢: 54歳, 時期: 1772年, 場所: ポーランド・リトアニア共和国)
ガリツィア・ロドメリア獲得 (年齢: 54歳, 時期: 1772年, 場所: ガリツィア・ロドメリア(現在のポーランド南東部・ウクライナ西部))
1778年
バイエルン継承戦争 (年齢: 60歳, 時期: 1778年~1779年, 場所: バイエルン、ボヘミアなど中央ヨーロッパ)
1779年
テッシェン条約 (年齢: 62歳, 時期: 1779年5月13日, 場所: テッシェン(現在のチェシン/チェコ・ポーランド国境地域))
1780年
マリア・テレジアの没年 (年齢: 63歳, 時期: 1780年11月29日)

地図

グループ
要素
ヨーロッパ 世界
europe map

関連リンク

他言語

コメント