マティアス:過渡期の混迷と三十年戦争

マティアス:過渡期の混迷と三十年戦争

マティアス

ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝。マクシミリアン2世とマリア・フォン・シュパーニエンの三男として生まれ、1608年からオーストリア大公、1608年から1618年までハンガリー・クロアチア王、1611年から1617年までボヘミア王、1612年から1619年まで神聖ローマ皇帝を務めた。兄ルドルフ2世との対立においてハプスブルク家内の反対派をまとめ、1608年にハンガリー・オーストリア・モラヴィアの支配権を譲らせ、1611年にはボヘミア王位も獲得した。1606年にはハンガリーの反乱勢力とのウィーン和約、オスマン帝国とのジトヴァトロク条約の成立に関与した。皇帝即位後は枢機卿メルヒオール・クレスルの影響を強く受け、晩年にはボヘミアで宗教・政治対立が激化し、1618年のベーメン反乱と三十年戦争の開始につながった。

年表

分類
要素
西暦 マティアス
1557年
マティアスの誕生 (時期: 1557年2月24日, 場所: ウィーン)
1568年
八十年戦争 (年齢: 10歳, 時期: 1568年~1648年, 場所: ネーデルラント、現在のオランダ、ベルギー、ルクセンブルクなど)
1578年
ネーデルラント総督への就任(マティアス, 年齢: 20歳, 時期: 1578年~1581年, 場所: ネーデルラント)
ネーデルラントへの赴任(マティアス, 年齢: 20歳, 時期: 1578年, 場所: ネーデルラント)
1579年
ユトレヒト同盟と宗教的寛容政策 (年齢: 21歳, 時期: 1579年, 場所: ユトレヒト)
1595年
オーストリア・ハプスブルク領での後継者としての地位確立(マティアス, 年齢: 37歳, 時期: 1595年, 場所: オーストリア)
1600年
ハプスブルク兄弟間の対立開始 (年齢: 42歳, 時期: 1600年~1606年, 場所: オーストリア、ハンガリー、プラハ)
ハプスブルク家内での反ルドルフ同盟 (年齢: 43歳, 時期: 1600年11月, 場所: ショットヴィーン(現在のオーストリア・ニーダーエスターライヒ州))
1606年
ハンガリーにおける和平交渉 (年齢: 48歳, 時期: 1606年, 場所: ハンガリー、ウィーン)
ウィーン和約 (年齢: 49歳, 時期: 1606年6月23日, 場所: ウィーン)
ジトヴァトロク条約の締結 (年齢: 49歳, 時期: 1606年11月11日, 場所: ジトヴァトロク(現在のスロバキア・ラドヴァニ・ナド・ドゥナヨム周辺))
1608年
ルドルフ2世からの支配権移譲(マティアス, 年齢: 50歳, 時期: 1608年, 場所: ウィーン、ハンガリー、オーストリア、モラヴィア)
ハンガリー・クロアチア王への即位(マティアス, 年齢: 50歳, 時期: 1608年, 場所: プレスブルク(現在のブラチスラヴァ)など)
1611年
ボヘミア王位の継承(マティアス, 年齢: 54歳, 時期: 1611年5月23日, 場所: プラハ)
ボヘミア王への即位(マティアス, 年齢: 54歳, 時期: 1611年5月23日, 場所: プラハ)
結婚(マティアス,アンナ・フォン・ティロル, 年齢: 54歳, 時期: 1611年12月4日, 場所: ウィーン・アウグスティノ教会)
1612年
宮廷のプラハからウィーンへの移転 (年齢: 54歳, 時期: 1612年以降, 場所: プラハ、ウィーン)
神聖ローマ皇帝への選出・戴冠(マティアス, 年齢: 55歳, 時期: 1612年6月, 場所: フランクフルト・アム・マイン)
1618年
三十年戦争 (年齢: 60歳, 時期: 1618年~1648年, 場所: 主に神聖ローマ帝国諸地域、現在のドイツ、チェコ、オーストリアなど)
ボヘミア反乱の発生 (年齢: 60歳, 時期: 1618年, 場所: プラハ・ボヘミア)
ベーメン反乱・プラハ窓外投擲事件 (年齢: 61歳, 時期: 1618年5月, 場所: プラハ)
1619年
マティアスの没年 (年齢: 62歳, 時期: 1619年3月20日)

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要素
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