フランツ・フェルディナント大公
フランツ・フェルディナント大公
オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者であったハプスブルク=ロートリンゲン家の大公。皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟カール・ルートヴィヒ大公の長男で、1889年に皇太子ルドルフが死去し、1896年に父が死去すると皇位継承順位第1位となった。軍事問題に強い関心を持ち、1913年にはオーストリア=ハンガリー全軍の総監に就任した。また、帝国内の諸民族の対立を緩和するため、二重帝国体制を改革し、スラヴ系民族の地位を高める構想を持っていたとされる。一方でセルビア民族主義や南スラヴ運動には警戒していた。身分の低いソフィー・ホテクとの結婚を実現するため貴賤結婚を受け入れ、王位継承権を持たない子どもをもうけることを認めた。1914年6月28日、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボを訪問中、ボスニア系セルビア人の民族主義者ガヴリロ・プリンツィプに妻ソフィーとともに暗殺された。この暗殺は七月危機を引き起こし、オーストリア=ハンガリーのセルビアへの宣戦布告を経て第一次世界大戦へとつながった。
年表
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ヨーロッパ
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