サラエボで歴史を変える一撃を放った青年
ガヴリロ・プリンツィプ
オーストリア=ハンガリー統治下のボスニアで活動したボスニア系セルビア人の民族主義者・学生。南スラヴ諸民族の統一とボスニア・ヘルツェゴビナにおけるオーストリア=ハンガリー支配からの解放を目指す「青年ボスニア(ムラダ・ボスナ)」に参加し、セルビアの秘密結社「黒手組」とも関係する暗殺計画に加わった。1914年6月28日、サラエボでオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公と妻ゾフィーを銃撃して死亡させた。この暗殺はサラエボ事件として知られ、七月危機を引き起こし、オーストリア=ハンガリーのセルビアへの宣戦布告から第一次世界大戦へとつながる直接的な契機の一つとなった。逮捕後、未成年に近い年齢だったため死刑を免れ、20年の禁錮刑を受けた。テレジーン要塞に収監され、結核を患って1918年に23歳で獄中死した。
年表
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ヨーロッパ
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