夫と共に不運の運命を辿った大公妃

夫と共に不運の運命を辿った大公妃

ゾフィー・ホテク

ボヘミアの貴族ホテク家出身の女性で、オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の妻。若い頃にはテシェン公フリードリヒ大公の妻イザベラ大公妃に仕える女官を務め、そこでフランツ・フェルディナントと親しくなった。身分の違いから結婚は貴賤結婚(モルガナティック・マリッジ)となり、結婚後はホーエンベルク侯爵、のちにホーエンベルク公爵の称号を与えられたが、皇族の大公妃と同等の身分や宮廷での序列は認められなかった。3人の子どもをもうけ、1914年6月28日に夫とともにサラエボで暗殺された。この暗殺事件は第一次世界大戦へ至る一連の国際危機の直接的な契機となった。

年表

分類
要素
西暦 ゾフィー・ホテク
1868年
ゾフィー・ホテクの誕生 (時期: 1868年3月1日, 場所: シュトゥットガルト(現在のドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州))
ホテク家の令嬢として誕生 (時期: 1868年3月1日, 場所: シュトゥットガルト(現在のドイツ))
1880年
テシェン公爵結婚 (年齢: 11歳, 時期: 1880年代~1890年代, 場所: オーストリア=ハンガリー帝国)
1890年
フランツ・フェルディナントとの交際 (年齢: 21歳, 時期: 1890年代後半, 場所: オーストリア=ハンガリー帝国)
1899年
フランツ・フェルディナント大公との貴賤結婚問題 (年齢: 30歳, 時期: 1899年~1900年, 場所: ウィーン、オーストリア)
1900年
貴賤結婚(モルガナティック・マリッジ)の成立 (年齢: 32歳, 時期: 1900年4月8日~7月1日, 場所: ウィーン、ライヒシュタット(現在のチェコ共和国・ザークピ))
フランツ・フェルディナントとの結婚 (年齢: 32歳, 時期: 1900年7月1日, 場所: ライヒシュタット(現在のチェコ共和国・ザークピ))
結婚(ゾフィー・ホテク,フランツ・フェルディナント大公, 年齢: 32歳, 時期: 1900年7月1日, 場所: ライヒシュタット(現在のチェコ共和国・ザークピ))
1901年
長女ゾフィーの誕生 (年齢: 33歳, 時期: 1901年7月24日, 場所: コノピシュチェ城(現在のチェコ共和国・ベネショフ))
1902年
長男マクシミリアンの誕生 (年齢: 34歳, 時期: 1902年9月29日, 場所: コノピシュチェ城(現在のチェコ共和国))
1904年
次男エルンストの誕生 (年齢: 36歳, 時期: 1904年5月27日, 場所: コノピシュチェ城(現在のチェコ共和国))
1909年
ホーエンベルク公爵への昇格 (年齢: 40歳, 時期: 1909年, 場所: ウィーン、オーストリア)
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 45歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: ヨーロッパを中心とする各戦線)
ゾフィー・ホテクの没年 (年齢: 46歳, 時期: 1914年6月28日)
サラエボ事件(フランツ・フェルディナント大公暗殺事件, 年齢: 46歳, 時期: 1914年6月28日, 場所: サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ))
ボスニア視察への同行 (年齢: 46歳, 時期: 1914年6月28日, 場所: サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ))
サラエボでの暗殺 (年齢: 46歳, 時期: 1914年6月28日, 場所: サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ))
アルトシュテッテン城への埋葬 (年齢: 46歳, 時期: 1914年7月4日, 場所: アルトシュテッテン城(現在のオーストリア・ニーダーエスターライヒ州))

地図

グループ
要素
ヨーロッパ 世界
europe map

関連リンク

他言語

コメント