ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ

ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ

ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ

パルマ公ロベルト1世とポルトガル王女マリア・アントニアの娘として生まれたブルボン=パルマ家の王女。1911年にオーストリア大公カール(後の皇帝カール1世)と結婚し、1916年に夫が即位するとオーストリア皇后・ハンガリー王妃となった。第一次世界大戦中には夫の和平政策を支持し、1917年のシクストゥス事件における秘密和平工作にも深く関わった。1918年にオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊すると夫とともに亡命し、1922年にカールがマデイラ島で死去した後は、8人の子どもを育てながらハプスブルク家の王政復古を支持し続けた。スペイン、ベルギー、カナダ、スイスなどで亡命生活を送り、1982年にようやくオーストリアへの入国を認められた。1989年にスイスのツィーツェルスで96歳で死去し、遺体はウィーンのカプチン教会皇帝納骨所に葬られ、心臓はスイスのムーリ修道院に安置された。敬虔なカトリック信者として知られ、死後はカトリック教会から「神のしもべ」の称号を受けた。

年表

分類
要素
西暦 ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ
1892年
ツィタ・フォン・ブルボン=パルマの誕生 (時期: 1892年5月9日, 場所: カマイオーレ(現在のイタリア・トスカーナ州、カペッツァーノ・ピアノーレ地区))
ブルボン=パルマ家の王女として誕生 (時期: 1892年5月9日, 場所: ヴィラ・ボルボーネ・デッレ・ピアノーレ、カマイオーレ(現在のイタリア))
1903年
ザングベルクの修道女学校での教育 (年齢: 10歳, 時期: 1903年~1908年, 場所: ザングベルク(現在のドイツ・バイエルン州))
1908年
カールとの再会と交際 (年齢: 15歳, 時期: 1908年~1911年, 場所: オーストリア、シュヴァルツァウなど)
1911年
カールとの婚約 (年齢: 19歳, 時期: 1911年6月13日, 場所: ヴィラ・ピアノーレ、カマイオーレ(現在のイタリア))
カールとの結婚 (年齢: 19歳, 時期: 1911年10月21日, 場所: シュヴァルツァウ城(現在のオーストリア・ニーダーエスターライヒ州))
結婚(ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ,カール1世, 年齢: 19歳, 時期: 1911年10月21日, 場所: シュヴァルツァウ城(現在のオーストリア・ニーダーエスターライヒ州シュヴァルツァウ・アム・シュタイネフェルト))
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 21歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: ヨーロッパを中心とする各戦線)
1916年
シェーンブルン宮殿への居住 (年齢: 23歳, 時期: 1916年, 場所: シェーンブルン宮殿、ウィーン)
第一次世界大戦中の皇后としての活動 (年齢: 23歳, 時期: 1916年~1918年, 場所: ウィーン、オーストリア=ハンガリー各地)
フランツ・ヨーゼフ1世の死去とカールの即位 (年齢: 24歳, 時期: 1916年11月21日, 場所: シェーンブルン宮殿、ウィーン(現在のオーストリア))
オーストリア皇后・ハンガリー王妃となる (年齢: 24歳, 時期: 1916年11月21日~12月30日, 場所: ウィーン、ブダペスト)
1919年
スイスへの亡命(ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ, 年齢: 26歳, 時期: 1919年~1921年, 場所: スイス)
オーストリア=ハンガリー帝国崩壊後の亡命生活(ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ, 年齢: 26歳, 時期: 1919年~1922年, 場所: スイス、マデイラ島)
1920年
オーストリアへの帰国禁止(ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ, 年齢: 27歳, 時期: 1920年代~1982年, 場所: オーストリア)
1922年
カール死去後の王朝維持 (年齢: 29歳, 時期: 1922年~1989年, 場所: スペイン、ベルギー、カナダ、スイスなど)
1982年
オーストリア入国許可 (年齢: 89歳, 時期: 1982年, 場所: ウィーン、オーストリア)
1989年
ツィタ・フォン・ブルボン=パルマの没年 (年齢: 96歳, 時期: 1989年3月14日)
2004年
カール1世の列福 (年齢: 没後15年, 時期: 2004年10月3日, 場所: ローマ(現在のイタリア))

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要素
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