セルビアへの強硬姿勢で大戦を招いた外相

セルビアへの強硬姿勢で大戦を招いた外相

レオポルト・ベルヒトルト

オーストリア=ハンガリー帝国の外交官・政治家。裕福な貴族ベルヒトルト家に生まれ、1893年に外交官となった。パリ、ロンドン、サンクトペテルブルクの大使館勤務を経て、1906年から1911年までロシア大使を務め、1908年にはブッフラウ会談の舞台を提供した。1912年にアーレンタールの後任として共通外相となり、バルカン政策を主導した。1914年のサラエボ事件後にはセルビアへの強硬政策を推進し、ドイツからの支持を取り付けたうえでセルビアに最後通牒を突き付け、7月28日のセルビアへの宣戦布告に至る外交過程で中心的役割を果たした。第一次世界大戦中の1915年に外相を辞任し、その後は皇太子・皇帝カール1世の側近として宮廷職を務めた。戦後はハンガリーの領地で隠棲し、1942年に死去した。

年表

分類
要素
西暦 レオポルト・ベルヒトルト
1863年
レオポルト・ベルヒトルトの誕生 (時期: 1863年4月18日, 場所: ウィーン(現在のオーストリア))
1880年
法律学習と外交官への転身 (年齢: 16歳, 時期: 1880年代~1893年, 場所: ウィーンなど)
1893年
結婚(レオポルト・ベルヒトルト,フェルディナンダ・カーロイ・デ・ナジカーロイ伯爵結婚, 年齢: 29歳, 時期: 1893年1月25日, 場所: ブダペスト(現在のハンガリー))
1894年
パリ大使館勤務 (年齢: 30歳, 時期: 1894年, 場所: パリ(現在のフランス))
1899年
ロンドン大使館勤務 (年齢: 35歳, 時期: 1899年, 場所: ロンドン(現在のイギリス))
1903年
ロシア大使館勤務 (年齢: 39歳, 時期: 1903年~1906年, 場所: サンクトペテルブルク(現在のロシア))
1906年
駐ロシア大使 (年齢: 42歳, 時期: 1906年~1911年, 場所: サンクトペテルブルク(現在のロシア))
1908年
ブッフラウ会談 (年齢: 45歳, 時期: 1908年9月, 場所: ブッフラウ(現在のチェコ共和国・ブフロフ))
ボスニア・ヘルツェゴビナ併合 (年齢: 45歳, 時期: 1908年10月, 場所: ボスニア・ヘルツェゴビナ)
1912年
バルカン政策の主導 (年齢: 48歳, 時期: 1912年~1913年, 場所: ウィーン、バルカン半島)
金羊毛騎士団への叙任 (年齢: 48歳, 時期: 1912年, 場所: ウィーン(現在のオーストリア))
共通外相への就任(レオポルト・ベルヒトルト, 年齢: 48歳, 時期: 1912年2月, 場所: ウィーン(現在のオーストリア))
1913年
1913年10月18日のセルビアへの最後通牒 (年齢: 50歳, 時期: 1913年10月18日, 場所: ウィーン、ベオグラード)
1914年
第一次世界大戦 (年齢: 50歳, 時期: 1914年~1918年, 場所: ヨーロッパを中心とする各戦線)
第一次世界大戦への外交的関与 (年齢: 50歳, 時期: 1914年~1915年, 場所: ウィーン、ベルリン、ベオグラードなど)
サラエボ事件 (年齢: 51歳, 時期: 1914年6月28日, 場所: サラエボ(現在のボスニア・ヘルツェゴビナ))
七月危機 (年齢: 51歳, 時期: 1914年7月, 場所: ウィーン、ベオグラード、ベルリン、サンクトペテルブルクなど)
ドイツからの「白紙小切手」支持の確保 (年齢: 51歳, 時期: 1914年7月5日~6日, 場所: ベルリン(現在のドイツ))
オーストリア=ハンガリーのセルビアへの最後通牒 (年齢: 51歳, 時期: 1914年7月23日, 場所: ウィーン、ベオグラード)
オーストリア=ハンガリーのセルビアへの宣戦布告 (年齢: 51歳, 時期: 1914年7月28日, 場所: ウィーン、ベオグラード)
1915年
外務大臣辞任(レオポルト・ベルヒトルト, 年齢: 51歳, 時期: 1915年1月13日, 場所: ウィーン(現在のオーストリア))
1916年
カール大公の最高侍従長 (年齢: 52歳, 時期: 1916年3月~1918年, 場所: オーストリア=ハンガリー帝国)
1918年
戦後の隠棲 (年齢: 54歳, 時期: 1918年~1942年, 場所: ペレズニェ(現在のハンガリー))
1942年
レオポルト・ベルヒトルトの没年 (年齢: 79歳, 時期: 1942年11月21日)

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