己卯士禍に倒れた士林派改革の先駆者

己卯士禍に倒れた士林派改革の先駆者

趙光祖

趙光祖は、朝鮮王朝中期の儒学者・政治家で、中宗の治世に改革を推進した士林派の代表的人物である。朱子学に基づく道徳的な政治を目指し、官僚登用制度の改革、郷約の普及、道教的な祭祀を担当する昭格署の廃止、功臣の功績審査などを進めた。しかし、既存の権力層である勲旧派と対立し、1519年の己卯士禍で失脚して賜死となった。後世には、理想の政治を追求した儒学者として高く評価され、文廟に祭祀される人物の一人となった。

年表

分類
要素
西暦 趙光祖
1482年
趙光祖の誕生 (時期: 1482年8月23日(西暦換算の日付には資料間で相違がある), 場所: 韓国・ソウル特別市(当時の漢城とする資料がある。一部資料では現在の京畿道龍仁市をbirth_placeとしている))
1498年
戊午士禍 (年齢: 15歳, 時期: 1498年, 場所: 朝鮮王朝の漢城(現在の韓国・ソウル特別市)および地方の流刑地)
金宏弼への師事と儒学の研鑽 (年齢: 15歳, 時期: 1498年以降, 場所: 平安道熙川など、金宏弼の流刑先)
1499年
結婚(趙光祖,結婚, 年齢: 16歳, 時期: 1499年ごろとする資料がある, 場所: 朝鮮王朝内と考えられるが、具体的な婚礼場所は不詳)
1504年
甲子士禍 (年齢: 21歳, 時期: 1504年, 場所: 朝鮮王朝の漢城(現在の韓国・ソウル特別市)および地方の流刑地)
1510年
科挙合格と官界への進出 (年齢: 27歳, 時期: 1510年~1515年, 場所: 漢城(現在の韓国・ソウル特別市))
郷約の普及と地方社会改革 (年齢: 27歳, 時期: 1510年代後半, 場所: 朝鮮王朝各地の地方共同体)
1518年
賢良科の導入 (年齢: 35歳, 時期: 1518年~1519年, 場所: 朝鮮王朝全域、選抜の中心は漢城)
昭格署の廃止 (年齢: 35歳, 時期: 1518年, 場所: 漢城(現在の韓国・ソウル特別市))
1519年
己卯士禍 (年齢: 36歳, 時期: 1519年, 場所: 朝鮮王朝の漢城(現在の韓国・ソウル特別市)および全羅道の流刑地)
偽勲削除の主張 (年齢: 36歳, 時期: 1519年, 場所: 漢城(現在の韓国・ソウル特別市))
賜死と後世の名誉回復 (年齢: 36歳, 時期: 1519年末~16世紀以降, 場所: 全羅道綾城(現在の韓国・全羅南道和順郡綾州面))
1520年
趙光祖の没年 (年齢: 38歳, 時期: 1519年12月20日(旧暦。西暦換算では1520年1月10日とする資料もある))

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