中立外交を展開するも反乱で倒れた光海君

中立外交を展開するも反乱で倒れた光海君

光海君

李氏朝鮮の第15代国王で、1608年から1623年まで在位した。第14代国王・宣祖の次男として生まれ、1592年に始まった壬辰倭乱(文禄の役)では王世子に冊立され、父王が避難した後に各地で軍事や行政を指揮し、戦後の復興にも取り組んだ。即位後は大同法の実施、宮殿の再建、医書『東医宝鑑』の刊行などを進めた。外交では明と後金(後の清)の間で均衡を保つ現実的な政策を試みたが、明への援軍派遣や親明・反後金を重視する官僚との対立が続いた。また、異母弟の永昌大君を死に至らせ、仁穆王后を幽閉したことなどが批判され、1623年の仁祖反正によって廃位された。晩年は済州島に流され、同地で死去した。

年表

分類
要素
西暦 光海君
1575年
光海君の誕生 (時期: 1575年6月4日(旧暦4月26日), 場所: 韓国・ソウル特別市(当時の漢城))
1590年
結婚(光海君,文城郡結婚, 年齢: 14歳, 時期: 1590年ごろ, 場所: 朝鮮王朝の漢城(現在のソウル特別市)と考えられるが、正確な場所は不明)
1592年
文禄・慶長の役 (年齢: 16歳, 時期: 1592年~1598年, 場所: 朝鮮半島各地。許浚は国王の避難に同行し、義州などを訪れた)
光海君の王世子冊立 (年齢: 16歳, 時期: 1592年, 場所: 朝鮮王朝の王宮および避難先の平壌など)
王世子としての戦時統治 (年齢: 16歳, 時期: 1592~1598年, 場所: 朝鮮半島各地。平壌、江原道、咸鏡道など)
1608年
臨海君の排除 (年齢: 32歳, 時期: 1608~1609年ごろ, 場所: 朝鮮王朝の首都・漢城および江華島周辺)
大同法の実施 (年齢: 32歳, 時期: 1608年以降, 場所: 京畿道(現在の韓国・京畿道およびソウル周辺))
戦後復興と宮殿の再建 (年齢: 32歳, 時期: 1608~1623年, 場所: 漢城(現在のソウル特別市)を中心とする朝鮮王朝各地)
第15代国王への即位 (年齢: 32歳, 時期: 1608年2月, 場所: 漢城(現在のソウル特別市))
1609年
日本との外交・貿易関係の再開 (年齢: 33歳, 時期: 1609年以降, 場所: 朝鮮王朝と対馬、江戸幕府の間)
1610年
明と後金の間での均衡外交 (年齢: 34歳, 時期: 1610年代~1623年, 場所: 朝鮮王朝と明・後金の国境および外交関係)
1613年
癸丑獄事 (年齢: 37歳, 時期: 1613年, 場所: 漢城(現在のソウル特別市)および朝廷)
『東医宝鑑』の刊行 (年齢: 37歳, 時期: 1613年, 場所: 漢城(現在のソウル特別市))
1618年
仁穆王后の幽閉 (年齢: 42歳, 時期: 1618年, 場所: 漢城(現在のソウル特別市)の西宮(慶運宮、現在の徳寿宮周辺))
1619年
サルフの戦い (年齢: 43歳, 時期: 1619年, 場所: 中国東北部、現在の遼寧省撫順市周辺)
1623年
光海君の廃位と済州島への流刑 (年齢: 47歳, 時期: 1623~1641年, 場所: 江華島、済州島(現在の韓国・済州特別自治道))
仁祖反正 (年齢: 47歳, 時期: 1623年3月, 場所: 漢城(現在のソウル特別市)の王宮周辺)
1627年
丁卯胡乱 (年齢: 51歳, 時期: 1627年, 場所: 朝鮮北西部から黄海道・平安道方面、江華島など)
1641年
光海君の没年 (年齢: 66歳, 時期: 1641年8月7日(旧暦7月1日))

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