東医宝鑑を編纂した朝鮮医学の集大成者

東医宝鑑を編纂した朝鮮医学の集大成者

許浚

許浚は朝鮮王朝中期から後期にかけて活躍した医師で、宣祖や光海君に仕えた宮廷医である。朝鮮の伝統医学を体系化した医学書『東医宝鑑』の編纂で知られる。身分上の制約がある中で医師として頭角を現し、王族の治療や壬辰倭乱の際の王の護衛を通じて信頼を得た。1596年に宣祖の命令で医学書の編纂を開始し、戦乱による中断や王の死後の流刑を経験しながらも、1610年に『東医宝鑑』を完成させた。同書は1613年に刊行され、2009年にはユネスコの「世界の記憶」に登録された。

年表

分類
要素
西暦 許浚
1539年
許浚の誕生 (時期: 1539年(正確な月日については諸説あり), 場所: 韓国・ソウル特別市江西区(現在の加陽洞付近))
1570年
内医院での医師としての活動 (年齢: 31歳, 時期: 1570年代以降, 場所: 漢城(現在の韓国・ソウル特別市))
1590年
王世子の天然痘治療 (年齢: 51歳, 時期: 1590年, 場所: 朝鮮王朝の宮廷(漢城、現在のソウル特別市))
1592年
文禄・慶長の役 (年齢: 53歳, 時期: 1592年~1598年, 場所: 朝鮮半島各地。許浚は国王の避難に同行し、義州などを訪れた)
宣祖の避難への随行 (年齢: 53歳, 時期: 1592年~1593年ごろ, 場所: 漢城から平安道義州(現在の韓国・平安北道義州郡)に至る避難経路)
1596年
『東医宝鑑』の編纂開始 (年齢: 57歳, 時期: 1596年, 場所: 漢城の内医院)
1608年
宣祖の死去と許浚の流刑 (年齢: 69歳, 時期: 1608年, 場所: 朝鮮王朝の宮廷および義州(現在の韓国・平安北道義州郡))
1610年
『東医宝鑑』の完成 (年齢: 71歳, 時期: 1610年, 場所: 朝鮮王朝内(流刑中の義州などで編纂作業を続けたとされる))
1615年
許浚の没年 (年齢: 76歳, 時期: 1615年10月9日)
不明
医学書の著述と伝統医学への貢献 (時期: 16世紀後半~17世紀初頭, 場所: 朝鮮王朝各地および宮廷の内医院)
結婚(許浚,nameは, 広く参照される主要資料では明確に確認できない, 時期: 不詳, 場所: 不詳)

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